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統合失調症と登山

ある暑い夏の午前、私はマイカーで静岡県の大井川に沿って北上していた。
目的は登山だ。
大井川の奥、井川のさらに奥には、南アルプスと称される三千メートル級の山々が聳えている。今回の私の計画では、三泊四日で荒川三山あらかわさんざん赤石岳あかいしだけを縦走する。

まず、私はこの奥静おくしずの登山の拠点となっている、椹島さわらじまロッジを目指した。
マイカーが入れるのは畑薙はたなぎダムの手前までになっているので、そこにある駐車場に車を停めた私は、そこから、椹島ロッジまで運行しているシャトルバスに乗る。バス停の近くに設けられたテント事務所に入山届を出す。バス停には登山者達が大勢並んでいた。そうだ、大井川のこれ以上奥には登山以外で入る人はまずいない。

私が単独登山をするようになったのは、約十年前、三十四歳の頃からだ。
私は十代の頃から統合失調症を患っていて、インドアな二十代を送っていた。大学が哲学科だったため、その呪縛にまんまとハマってわかりもしない哲学書を読んで偉くなったような気でいた。とは言っても、二十代は肉体労働をしていた。工場の中で体を動かした。しかし、家に帰ると独りで本ばかり読んでいた。「小説家になるんだ」などと、夢という名の妄想に駆られて下手な小説を書いていた。友達と遊ぶということがなかった。いつも独りだった。
親のすねをかじりながら、二十代は働いた金で海外旅行をするのが楽しみだった。イタリア、スペイン、インド、中国、ウズベキスタンなどだ。イタリア、スペインは母とふたりで行った。初めて独りで行ったのはインドだった。「独りで」と言うとバックパックで、『地球の歩き方』を片手に放浪したのだろう、と思う人もいるかもしれないが、英語のできない私は団体旅行に乗っかっただけだ。だから、海外旅行をしたなどと言っても自慢はできない。
そんな私が三十四歳になって、介護の道を志したとき、趣味として登山を始めようと思った。唐突のようだが、私は高校時代山岳部に在籍していたことがある。そのときのことが忘れられず、三十代にして単独登山を思い立った。単独とは一人で行くことだが、理由は友達がいないからというもので、消極的な決意だった。
独りで登山する人は多い。だから、私も統合失調症という病と友達がいないということを誤魔化すために単独登山を趣味としようと思った。「独りで山に行くことが趣味なんです」と言えば、精神障害を疑われることはない。
もちろん、山に登りたいのは純粋に好きだからでもある。
介護の仕事に就く前に、私は登山用品を買い装備を揃えて、低山から登り始めた。
そして、介護職一年目の夏、私は南アルプスに単独登山を挑んだ。ハマった。

そして、毎年、夏には一座か二座、雲の上まで聳える山を登るようになった。
今回書くのは、私が一番良かったと思っている、荒川三山、赤石岳の縦走のことだ。
荒川三山は、三つのピークからなり、東から、東岳ひがしだけ中岳なかだけ前岳まえだけ、となっている。しかし、そのうちの最高峰、三千百四十一メートルの標高を誇る東岳は通称、悪沢岳わるさわだけと言う。『日本百名山』を書いた深田久弥も、「悪沢岳と呼びたい」と言っている。
椹島ロッジの職員の着ているティシャツにも「WARUSAWA]などとプリントしてあったと私は記憶している。
その椹島ロッジだが、シャトルバスに揺られ、谷底を流れる川に沿って細い道をくねくねと行くと、開けた所に、まるで、会社の寮みたいな建物が団地みたいに軒を並べている。
ここが、私の悪沢赤石縦走の出発地であり、帰ってくるゴールでもある。


椹島ロッジ


椹島ロッジには一時ごろ着いた。
ここに一泊して明朝早くに、荒川三山の東にある千枚岳せんまいだけに登る。その山頂近くにある千枚小屋が二泊目の宿だ。
しかし、いかんせん、椹島ロッジには早く着き過ぎた。私は暇を持て余した。館内にある雑誌を読んだ。無論山の雑誌だ。荒川三山赤石岳縦走のことが書かれたものを読んだ。南アルプスの特長は北アルプスに比べ、山頂と山頂の間が長いということらしい。荒川三山を東側から歩き、左手前方に赤石岳を見ながら歩く。その稜線に囲まれた谷はカールになっている。すり鉢を反時計回りに歩くと言ったらわかりやすいだろうか。雑誌にはこんな言葉があった。「もうこんなに来た。まだ、あんなにある」これは「まだあんなにあるのかよ、やだな」という意味ではない。「まだ、あんなに歩くことを楽しめる」というポジティブな意味だ。


相部屋


夜、相部屋の男性ふたりと話をした。ひとりは大学生くらいの若者で、もうひとりは還暦近いおじさんだった。若者は経験は浅いが、大学生になってから、登り始めたようで以前行った、剣岳つるぎだけの話をおじさんとしていた。私は剣岳に登ったことがなかったので、聞き役だった。いや、私は病気柄会話を楽しむことができなかった。しかし、ふたりの話は聴いているだけで面白かった。剣岳にはかに横這よこば縦這たてばいという岩場があって、その最後の岩を掴む部分の話をしていた。
「あそこ、掴みづらいですよね」
と若者が言うと、おじさんは、
「うん、丸みを帯びているよね」
などという。おもしろい、全国のどこかからこの静岡県の山奥に来たふたりが、遠く富山県の山の片手で掴む岩の一部分のことを話題にしている。マニアックだが夢がある。私はいつか剣岳に登ろうと決めた。
就寝時間が来た。私はこっそり寝る前の薬を飲んで布団に入った。

翌朝、若者とおじさんと別れ、私は千枚岳に向かって出発した。
若者とおじさんとは、アドレスを交換などしない。それが登山だ。一期一会。もしかしたら、出会ってアドレスを交換して友達を増やしている登山者もいるかもしれないが、山に来る人には色々な人がいる。私のように精神病の者もいる。


見晴らし台から


天気は晴れていた。
途中、森の中に清水平という所に水場があった。私はザックを下ろし、空のペットボトルに水を汲んで飲んだ。
「うまい!」
甘ささえ感じるような冷たい水だった。
私の歩き方にはルールがあって、十五分歩いたら一分小休止、また十五分歩いたら一分小休止する。小休止の際には、ザックを下ろし水を飲む。そして、呼吸を整えたらザックを背負い出発する。絶対にしゃがみ込んだりしない。一度しゃがむと、歩き始めるのが億劫になるからだ。こんな歩き方も独りだからできるものだ。
清水を飲むと私はまた歩き始めた。
途中見晴らし台という所で、休んだ。そこにはふたりの四十代後半くらいの男性がいた。ふたりともサングラスをかけていた。
「あれが、赤石だね」
「ああ、今日は天気がいいな、昨日はガスで視界が悪かったのに」
そして、私に向かって、
「どこから来ました?」
と言うので私は答えた。
「椹島からです」
「え?早いな。どっちに行くんです?」
「今日は、千枚小屋せんまいごやに泊まって、明日は赤石です」
「あなたは運がいいよ。僕たちも一日遅く来ていればいい景色が観られたのに。じゃあ、僕たちはこれで」
ふたりは下山して行った。私は、赤石岳を仰ぎ見て、再び森の中を歩き始めた。


千枚小屋


十時三十五分に千枚小屋に着いた。私が客として一番乗りだった。私は小屋の前のテーブルで、椹島ロッジで受け取ったいなりずしのお弁当を食べた。
ガスが出て来て視界が悪かった。赤石岳は見えなかった。
私は雨具など必要な物だけをサブザックに詰めて、千枚岳せんまいだけに登った。山頂に近づくにつれ、樹高が低くなり、低木のトンネルをくぐって歩くのは愉快だった。
千枚岳はもう木のない岩場の頂だった。私以外に登山客はいなかった。独り占めだ。しかし、霧のため視界が悪かった。赤石岳も見えなかった。雨が降ってきたら嫌なので、私はしばらくしてから、小屋に戻った。
小屋では、そこで売っているビールを飲んだ。つまみは自宅から持って行ったナッツなどだ。私にとって山小屋でビールを飲む時間はなによりの贅沢だった。時間があり過ぎたので、私は小屋でミルフィーユを注文し食べた。山の上でのミルフィーユ、なんという贅沢!
そのあとは昼寝だ。
夕食は山小屋の食堂だった。
私の向かいに座った女性は五十代くらいで、単独登山だそうだ。私も単独登山だ。私は病気で友達がいないからしかたなく単独登山をしている面があるが、単独登山者は多い。私も「フツー」なのだ。
夕食後はすることもないので、すぐに寝た。六時頃だ。翌日は、今回のメインディッシュ、荒川三山を歩き、赤石岳まで行く。赤石岳山頂の避難小屋に泊まる。晴れたらいいな。晴れるだろう。

千枚岳から見た日の出

朝起きたのは四時前だった。私は小屋の前で湯を沸かし、コーヒーを淹れた。朝ごはんは小屋で買ったおにぎりだ。食後の薬もきちんと飲んだ。
四時には出発した。四十分かけて千枚岳山頂に到着。日の出を待つ。コーヒーを飲みながら。これもまた至福の時間だ。このために山に登っているようなものだ。昨日、食堂で一緒だった女性もそこにいた。他にも何人か日の出を待つ人がいた。
私は日が出てからもしばらくそこに留まり、晴れた山上の景色を堪能すると、ようやく腰を上げた。

次は、悪沢岳だ。その前に丸山という山がある。文字通り丸い山だ。そこの景色も素晴らしかった。悪沢までの稜線が見えた。いや、赤石岳までのピークの連なりが手に取るように目視できた。
稜線を歩いていると、鹿の群れが前方の登山道を横切っていた。鹿の群れを見るとなぜか得した気分になるのは不思議なものだ。熊だったら恐ろしいが。
そのあと、猿も見た。猿は登山道の脇の石の上に座っていた。私が近づいても逃げなかった。逃げたいのは私だったが、目を合わせないようにして通過した。

悪沢岳山頂

悪沢岳は石がゴツゴツとあり、狭く居心地は良くなかった。それでも今回の目的のひとつであるので、達成感はあった。
先はまだ長いので、私は写真を撮ると、悪沢岳(東岳)をあとにした。

稜線が良く見える。中岳が見える。その向こうに隠れているのは前岳だ。前岳は赤石岳への稜線から少し外れているので、そこだけは稜線を離れ、往復しなければならない。
私は来た道を振り返った。
「もうこんなに来た」
そして、前を見た。遠くに赤石岳が見える。
「まだあんなにある」
雑誌の言葉が心に浮かんだ。

ところで私は統合失調症を患っていて、常に思考が動いている。登山で歩いているときも、頭の中で誰かと話をしている。職場の同僚と話していることが多い。三千メートル級の山に来て、下界の日常の仕事のことを考えるというのはもったいない気がするが、なぜかそうなってしまうからしょうがない。私が思うに、統合失調症とは言葉の病気だと思う。人間は社会の中で生きている。それは言葉の中で生きていると言えるかもしれない。
しかし、その言葉以上に影響力のあるものがある。それが山だ。山は言葉の外にある。
こんな哲学じみた思考も歩きながら行っているが、体は確実に歩を進めている。


荒川小屋で食べたカレーライス


荒川小屋でカレーライスを食べた。
この小屋で水を補給しなければならなかった。赤石岳山頂の避難小屋には水場がないからだ。
赤石岳の手前には小赤石岳というピークがあった。私はずっとそれが赤石岳だと思っていてそれを目標に歩いて頑張ったが、その頂に着くと、まだ向こうに赤石岳があった。
「まだ、あんなにある」
得をした気分だった。
職場の同僚などに登山を勧めると山の上からの景色は見たいけど、登るのがめんどくさい、などと言われる。いや、その自分の足で登るからいいんだって!
ずっと歩いていると、歩くことに快楽さえ覚えてくる。体も心も。


赤石岳山頂

十一時二十五分。
赤石岳山頂到着。コーヒーを飲む。
しばらく登頂の喜びに浸った後で、赤石岳避難小屋に向かう。山頂からすぐそこに見える場所にある。五分か十分で着いた。
十二時赤石岳避難小屋に到着。私がその日一番の到着者だったようだ。小屋の管理人に、千枚小屋から来たことを告げると、「それは速いな」と言われた。

赤石岳避難小屋

この小屋の外壁に「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」と書いてあった。歩きながら仕事のことなどを考えてしまうのは私だけではないだろう。仕事中に山のことを考えてしまうこともある。
小屋の中には多くのカメラマンがいて談笑していた。何泊もしている人たちのようだ。
私はビールを買って、つまみも持って独りで山頂に登った。誰もいない、私だけの赤石岳。有名なこの頂に、たった今いるのは世界中でただ一人私だけなのだ。そう思うと何とも言えない満足感というか支配欲が満たされている感じがした。ビールが美味い。
山頂に座って、東のほうを見ていた。そちらには雲で隠れているが、富士山が見えるはずだった。

うっすらと見える富士山

随分長い間、私は赤石岳の山頂に座っていた。次第に東の雲が流れ、富士山が姿を現した。私は小屋にいる他の登山客に知らせたい気がしたが、小屋まで歩くのは面倒なので、そのまま独りで富士山を見ていた。そのとき、こう思った。
「今、この赤石岳から富士山を見ているのは世界中で俺ひとりなんだ」
このなんとも当たり前の事実が妙に独占欲をくすぐっていた。
小屋のほうを見下ろすと、富士山に気づいた客がいて、小屋の中の人たちに呼びかけていた。しかし、赤石岳山頂で富士山を見ているのは私一人であることに変わりはなかった。
私は時間があったので小屋で少し昼寝をしようと思い小屋に戻った。


赤石岳避難小屋の二階


昼寝を終えると、この小屋では食事が出ないため、私は持って来たインスタントラーメンを食べようと、小屋の前でガスコンロに火を点けようとした。しかし、ライターの火が点かなかった。私は困った。火が点かなければ、インスタントラーメンなどただの麺の塊だ。食べることはできない。ピンチだった。外は風があったので、それが悪いのだと思い、小屋の土間に入った。それでもライターに火は点かなかった。小屋の管理人が、こっちのライターなら点くと思うよ、と言ったので、そこで売っているライターを私は購入した。そのライターは古いタイプのライターで、点火の部分が押さえてカチッとなるタイプではなく、親指で回してシュッと点火するものだった。たしかにこれで火は点いた。気圧の違いで点くライターと点かないライターがあるらしかった。私は五分後、ラーメンを食べることができた。汁を捨てることは環境上許されることではなかったので、私はラーメンの汁を全部飲んだ。

日暮れが近づいて来たので、夕焼けを見ようと再び私は山頂に登った。

夕焼雲
雲海の上の稜線
日没

私は写真を撮りまくった。写真の腕はないが、壮大な景色を写真に収めるというのは、登山の目的のひとつでもあった。
日が沈むと私は小屋に戻って寝床に就いた。

翌朝、私は日の出を見ようと、山頂に登った。あまり寒くない。また昨日座って景色を見ていた辺りに、陣取って、淹れたばかりのコーヒーを飲みパンを食べた。東の空は白んでいる。
私と同じように山頂から日の出を見ようと、小屋から登山客が続々と登ってくる。みんなこれを楽しみに山に登っているのだなぁ、と思った。

明るくなりつつある東の空と富士山
西の空には月がある
雲海の日の出と富士山

私が南アルプスを好きな理由のひとつに、雲海の上に突き出た富士山と日の出を同時に見ることができるという点がある。今回の山行は天気に恵まれ、ベストな日の出と富士山を見ることができた。私は大満足だった。後にも先にも、この荒川・赤石縦走の山行ほど充実していた山行は今のところない。
精神病で、美しいものを素直に美しいと思えない私がいる。しかし、この大自然の美は私のそんな歪んだ心を凌駕して迫ってくる。歩くことで体は疲れる。しかし、心地よい疲れだ。大自然の中に身を置くことで、体中から元気が湧いてくるようだ。自然の中を歩くことで、心のリハビリになるとか、そういう効用を抜きにして、登山は素晴らしいものだ。統合失調症だからといって、人生の歓びを諦めてしまうのはもったいない。そういえば、私は二十一歳のときに、今は亡き祖母と、ふたりでパリに行った。そのとき、私は統合失調症であったが、まだ受診していないときだった。フランス旅行とは贅沢だが、旅行中もずっと病気で苦しんでいた。しかし、後になって振り返ると、素晴らしい体験だったと思えてくる。「どうせ行っても、楽しめないから・・・」と諦めてしまうより、苦しくてもいいから体験する方がいい。

私は赤石岳から椹島ロッジまで下山した。長い下りだった。次第に下界が、人間のいる社会が近づいて来ると思うと、体中から少しずつ安心感が湧いてくる。人間社会はいいものだ。苦しいときは誰かが助けてくれる。しかし、山もいい。山は危険もあるが、私を包み込んでくれる何かがある。
「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」

椹島ロッジ到着

十一時に椹島ロッジに着くと、本当に体中から安堵感と達成感がにじみ出た。ザックのベルトを外し、平らな地面を歩いているだけで自分が大冒険を終えた勇者であるような感覚になる。俺カッコイイ、と思う。


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