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統合失調症になってからの学問

私は高校二年生の秋、十六歳で統合失調症に罹りました。
周囲はいよいよ大学受験の準備が始まるということで緊張感が増してきた頃でした。しかし、私は病気のため受験勉強は高校三年生の終わりまで一秒もしませんでした。

ただ、私の高校では「倫理」の授業が必修で、受験には関係ない科目ですが、その教科書や、用語集をよく読んでいました。倫理の用語集には、歴史上の思想家の顔写真が載っていて、それぞれの思想が簡潔に書かれていました。

私は特に、実存主義と仏教に興味がありました。ハイデガーやサルトル、ブッダに関心がありました。しかし、それらの思想書を読むこともなく、当時はインターネットの環境もなかったので、私は用語集の範囲から出ることはできませんでした。

それと私の愛読書はもうひとつあって、『国語総覧』という国語の参考書でした。それには日本の古典から中国の古典、西洋の古典、日本の近現代文学の有名な文学者の顔写真と年譜、作品紹介がありました。
私は倫理の用語集や『国語総覧』を読んでいて思いました「俺も歴史上の人物になってやるぞ」。この野心は今でも持っています。「歴史上の人物」と言っても、文学や思想、芸術などの分野に限定されていて、政治家になりたいとか、科学者になりたいなどとは全く思いませんでした。

当時、私は手塚治虫と宮崎駿の影響で「マンガ家になってアニメーション制作会社を作ってアニメーション映画を監督してみたい」と思っていました。これは中学三年生の頃から常に考えていることでした。先に手塚治虫に憧れました。『火の鳥』との出会いが決定的でした。『ブッダ』も読み、先に述べたように仏教に関心を持ちました。しかし、手塚治虫は理系の人で、私はその思想に限界を感じ、中学卒業のときには、完全に宮崎駿に憧れの対象は移っていました。高校では文系を選択しました。人生を常に将来から逆算して考えるようになりました。「宮崎駿のようになりたい」これが人生の願いになりました。しかし、これが落とし穴だったのです。

私は宮崎駿ではありません。それなのに自分には宮崎駿と同じ能力があると思い込み、高校三年生の文化祭でやるクラスの演劇のシナリオ担当に立候補しました。(私の高校は二年生と三年生はクラス替えがなかったので、三年生の文化祭でやる演劇の準備を二年生からしました)。この立候補も人生を逆算して、将来の有名な芸術家である私がみんなのために一肌脱ごう、と考えてのことでした。私はクラスでは目立たない存在で、いつも空想に耽っているばかりの孤独な生徒でしたので、突然、私がそのような大役に立候補したことにクラスの生徒は驚いたと思います。私はまだこのとき、自分がマンガ家を目指していることを誰にも明かしていませんでした。「いつか有名になってみんなを驚かせてやる」これが中学生の頃からの私の腹黒さとなっていました。そして、立候補したことにより夢の中で描いている自分と現実の自分の区別がつかなくなりました。これが、私の統合失調症を発症した瞬間でした。
私は頭がおかしくなり、演劇のシナリオ担当の役もいつのまにか降ろされていて、死んだように高校卒業まで過ごしました。頭が常に苦しく、死ねば楽になるかもしれないと何度も思いましたが、宮崎駿の作品にある「どんなに苦しくとも、生きねば」というセリフを自分に言い聞かせて生きていました。精神科に行くという発想はありませんでした。この頃、先に述べたように、倫理の用語集や『国語総覧』を愛読しました。

まだ、マンガ家は諦めていませんでした。高校三年生の十二月に私はようやくペンを持ちました。受験勉強を始めたのではありません。マンガを描き始めたのです。それまで私はマンガ家を目指していたくせにペンとインクでマンガを描いたことはありませんでした。そして、初めて描いた短編マンガを出版社の新人賞に投稿しました。

一応形だけでも受験生であろうとした私は大学をいくつか受験しましたが全て落ちました。最後に期待していたマンガの新人賞も落選し、私は予備校に通うことになりました。

翌年、私は大学受験をしました。マンガの聖地東京に憧れていて、上京したかったため東京の大学ばかりを受けました。学部は総合的な教養の高まる所であれば何でもいい、偏差値がなるべく高い所がいい、そう思って受験して合格し、進学先に選んだのが私立大学の文学部哲学科でした。哲学科を受験したのは他にありませんでした。ルーレットでたまたま哲学科に当たったような感じでした。

上京し、一人暮らしを始めました。大学ではサークルなどには入りませんでした。なぜかと言うと、私の統合失調症を発症した年が1995年でオウム真理教の事件があった年で、病んでいる私は集団に所属することを極度に警戒していました。入ったサークルが実はオウム真理教の集団だった、などと言う話があることを聞いたりもしていたので、集団に入ることを極度に恐れていました。人と心をひとつにする、ということを怖れました。そのため友達もできませんでした。


そのかわり、学問に出会いました。


カントの『純粋理性批判』、アリストテレスの『形而上学』、ハイデガーの『存在と時間』と読み進めていきました。ちょうど東浩紀の『存在論的郵便的』が出た年だったので、その本を通してデリダの存在を知りました。しかし、病気のせいもあり、論理的な細かな思考はできませんでした。それでも各哲学者の哲学をイメージとして捉えることはできました。
文学も読みました。ユゴーの『レ・ミゼラブル』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、トルストイの『戦争と平和』、ドストエフスキーの『罪と罰』、ゲーテの『ファウスト』などです。こう並べると、王道ばかりを読んでいる感じですが、歴史上の人物になりたかった私には王道が必要だったのです。今思えば、私は読書をする子供ではなく、『ジャンプ』と『コロコロコミック』しか知らなかったので、大人になってから上記のような名作の原典に出会ったことはラッキーでした。子供向け『レ・ミゼラブル』を読んでいたら、本物を知らずに大人になっていたからです。『ドン・キホーテ』も子供のときに読んでいたら、風車に戦いを挑むようなことをしない「まともな」人間になっていたと思います。

このように歴史上の偉大な著作家たちの作品を読んでも、私の宮崎駿への憧れは変わりませんでした。文学は歴史が長く、アニメはまだ浅く裾野は狭い。アニメの可能性に胸を膨らませていました。そして、マンガを描いて出版社に持ち込みました。大学一年生も終わりに近い、二十歳になったばかりのことです。出版社では若い編集者に作品を見てもらい、「絵のクオリティが低すぎる、諦めたほうがいいよ」と言われました。どの出版社でもそう言われました。マンガ雑誌の編集者は「持ち込み大歓迎」を謳っていますが、マンガ家という夢を持っている才能のない若者を諦めさせ、「まともな」人生にかじを切り替えるように促すのがマンガ持ち込みにおける現実だと思いました。もちろん中にはすごい才能があってデビューする人がいるかもしれませんが、それはほんの一握りだと思います。私はこの経験を通して、芸能関係に夢を持つ若者のことを考えます。世間知らずな若者はマンガ家、ミュージシャン、俳優、コメディアン、あるいはスポーツ選手など、自分の知っている憧れの職業に執着しやすいと思います。私もそのひとりでした。

大学二年生になっても、マンガ家は諦めず、哲学や文学の本を読みました。友達は少数ですができましたが、そんなに深い中になることはありませんでした。

大学三年生になると二年後に迫る大学卒業に不安を覚えました。マンガ家以外に進路を考えたくなく、就職活動するくらいならマンガを描いた方がいいと思っていました。しかし、そのマンガが描けませんでした。その理由を考えると、私は精神病だからだ、と答えがでました。どうしたら精神病が治るだろうか?私は以前から興味のあった仏典を読み始めました。そして、幸福の定義を自分なりに考えました。「悟りの境地のまま生活すること」です。しかし、その当時、私はそのような状態にありませんでした。では出家して仏門に入ればいいかというと、私はオウム真理教みたいなのは嫌だから、出家などはしませんでした。出家ではなく実家に戻りました。そして、ようやく初めて精神科を受診しました。

一年間休学しましたが、その後、復学し、大学は卒業しました。そのあとは、デイケアに通いながら、パートの仕事などをしました。そんな生活を送りながらも、読書は続けました。

先に「悟りの境地のまま生活すること」が幸福だと定義したと述べましたが、現在も私はその定義は変わらないと思っています。アリストテレスは人生の目的は幸福に生きることだと言っています。しかし、私はこう考えます。「彼の人生は幸福だった」「彼の人生は不幸だった」どちらでもいいじゃありませんか。幸福な時も、不幸な時もあるのが人生です。幸福を目的にすべきではないと思います。私は「悟りの境地」を尊重します。それは統合失調症にとっての羅針盤だとさえ思います。しかし、それを得るために座禅をしたり、念仏を唱えたり、俗世間から離れた場所で修行する坊さんを見苦しいとさえ思います。

人間は俗世間の中で助け合いながら生きていくものです。

このようにギリシャの偉大な哲学者、アリストテレスを自分なりに批判したり、仏教に対して、その価値を肯定できる部分は肯定し、批判すべき所は批判できる、すなわち、自分で物を考えることができる、しかも、アリストテレスやブッダ、あるいはキリストでもいい、権威ある思想に無批判に従うことなく、歴史上の偉大な思想家と対等な立場で物が考えられるようになったのが、私の学問の成果のひとつかな、と思います。

その学問のほとんどは、統合失調症になってから始めました。哲学科に入ったのは結果として良かったと思います。多くの思想に触れ自分の考えを深めていくきっかけになりました。そうです、大学に入ることは学問の入り口に入るきっかけに過ぎないのです。卒業後も読書は続けることができました。そうやって思想を鍛えていくことは私の心のリハビリ、心の強化につながりました。

もし、統合失調症に罹ってしまって、生きることに意味を見いだせない方がこの文章を読んでいたら、私は哲学や文学などの学問を勧めます。大学など行かなくとも、図書館や本屋に行けば、歴史に名だたる名著が並んでいます。簡単な解説書を読むのではなく、原典に触れてみてください。時代を超える一流の思想界の空気だけでも感じられればまずはいいかと思います。そして、徐々に知識の網を広げていくといいと思います。人間の考えた英知がそこに詰まっていますから。


偉そうなことを書きましたが、現在、私は介護の仕事をパートでしていて、両親と同居の四十代独身男に過ぎません。しかし、夢があります。小説家を目指しています。まだ、宮崎駿に憧れています。アニメで彼を超えることは私にはできそうにありません。小説ならば世界一になれると本気で考えています。
それは統合失調症特有の妄想でしょうか?
私はドン・キホーテでしょうか?
キチガイでしょうか?

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