シン・エヴァンゲリオンのアネクドート

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シン・エヴァンゲリオンを見てきた。さらば、全てのヱヴァンゲリヲン。すでに色々な人が考察とかしているし俺は別にガチファンじゃないのでそんなに深い話はしないけど、ちょっと言いたい事があるのでまとめておく。


前提


まぁまずエヴァと言う「拒絶と成長の絶望物語」をやり直す、と言うのが新劇場版シリーズな訳じゃないっすか。庵野自身が成長したし視点も変わったし、とか何だろう。別にインタビューなどを追っている訳じゃないので知らんけど。
そんで「序」で語り直しを開始した。「破」で旧エヴァを否定、破壊したら「Q」で本人が壊れちゃった、と言う展開になった。マジで「Q」はハチャメチャで、世界や役割を求めてみたら、その世界も役割も喪失して色んなものから拒絶されて本当にぶっ壊れてしまった。(自分でエヴァを壊しておいて?)ここで作者は「俺はエヴァと言う箱庭から出られなかった!呪いだ!」みたいなメッセージをボロンと出すんです。なんかメッセージもぐちゃぐちゃで読み取りづらいので「Q」の読解はあきらめた。自分で旧世界を否定したら新世界にはちっとも始めなかったって、お前は田舎から都会に出てきた若者か?

シン・ゴジラ

そんでぶっ壊れた庵野さん、周りのやさしい人たちで復活する訳です(シン・エヴァの戦後描写は笑い出しそうになりましたよ。庵野君、君の戦争は終ったんだね……と言う気持ちになった)
具体的には「シン・ゴジラ」ですね。社会をやるんだ、責任ある大人の務めを果たすんだ、代わりがいる?それがどうした、やれる事をやるのが大人だろう!とやや逆上気味に「役割と世界」の関係性を描いたんです。エーリッヒ・フロムかなと思うくらい役割と世界の感じで凄かった。傷つくとか適切な距離感とかどうでもいい、責任と義務!と言うそれで世界の再構築と再接続をする。庵野の役割を果たすんだ!イエイ!どんなに馬鹿馬鹿しくても一生懸命やるんだよ、それが大人なんだと力説してみせた。世界はそういうものだ、そうやって回っていると言い切った。
大人が大人をやる事の重要性、役割は社会に対する信用、箱庭が壊れて役割を失って何度スクラップされてもリビルドすりゃええやんけ!役割に固執しない、代わりがいる?それがなんだ、と言うのが庵野のアンサーになった。エヴァが何度壊れたってやり直すさ、それが大人の義務ってもんだろう!


ここから


そうやって庵野が、かつて自分で壊したエヴァと再接続するのかな?それは素晴らしいだろうなと思っていたんだが、公開初日から出てくる感想を見るとどうも違う。
それで実際に見てみると、いや、まぁ確かにかつて自分で破壊したエヴァの破片を拾い集めて再結合させてはいるんだが、それは庵野自身の納得の為であって「エヴァンゲリオン」と言う作品群の為じゃないんだ。何より「エヴァを終わらせるのが大人の、俺の義務なんだァ!」と言う絶叫が凄い。責任を果たした!大人をやったぞ!と言う感じなんです。特に本人も感動したりせずに作ってんだろうな、と言う全面的に義務感が漂う作りになっている。マジで義務で作ったろ、大人としてエヴァをやるんじゃねぇ。最低でも過去の自分を殺せ。

まぁ本人の作品だし本人が納得してんならいいんだけど、納得できねぇのは「マリに救われる」と言う点ですわ。

そもそもですよ、お前はレイとアスカとミサトさんで迷ってた訳じゃん?その誰とも関係性を持てずに首絞めてシコって「気持ち悪い」をやってた訳じゃん?大人のキスとその続きをしたかった訳じゃん?それなのに急にポップしてきたマリに救われた。急にですよ!匂いを嗅がれて「そこで待ってて!必ず助けに行くから!」とか言われて信じて待っちゃう、その手を握っちゃう。え?マジ?そういうのこそ旧世界で否定してきた存在で、そこに葛藤とか無いの??
まぁいいですよ、人生にはそういう事もあるでしょう。真の希望の波であるマリがポップする、大いに結構。十分にありうる。いいよ、それはいい。だったらレイもアスカもミサトさんも葬ってやれ、と思うんです。何をほのぼのと卒業式やって見送ってんだ、お前はカヲルくんの幸福を考えた事があるのか?何がお父さんに似ているだ。冗談じゃあない。お前の為に人生を何周してると思ってるんだ。雛見沢やってんだぞ、カヲルに謝れ。アスカもアスカだ、お前はケンケンでいいのか?納得してるのか?ケンケンも綾波が好きだったんじゃないの?何なんだお前たち!!


そもそもだ、お前は親父とちゃんと対決しろ。親父を殺せ。エディプスコンプレックスを超越しろ。だいたいゲンドウ、お前も何なんだ。長いモノローグで「実はシンジ、お前にビビってた」ってそんなのあるか!(ここに関しては、親は年を取ると弱体化して勝手にそういう自省モードに入りやすいみたいなのでリアルっちゃリアルなんだが)旧存在を勢いでなんとなく倒して、そんでマリと幸せになるって、お前それは何なんだ。何が「胸が大きくて綺麗ないい女」だ。何が「そういう君もかわいいよ」だ。バーロー、そんな再接続があるってのか。

いいよ、庵野。お前が幸せになったのはわかった。シンエヴァはその報告会か?冗談じゃねぇ、旧エヴァを、旧自分を、選ぼうとしていた全員を殺すなり葬送するのがせめてもの礼儀なんじゃないの?誰も殺したくないとか死なせたくないとか甘えてんじゃねぇ!かつての気持ち悪い自分をぶっ殺せ!なぁにをシレっと大人になってマリと走っていってんだ!おらぁ!義務でエヴァを終わらせて自分は突如としてポップした女とハッピーになったぜイエーイ!ってか。ぶっ殺すぞ!殺せ!殺してくれ!そうじゃないと旧世界のエヴァが報われないじゃんか。悲しいったらないぜ。

ムカつくのはこれが呪いでも祈りでもねぇ事だ。
祈り、ヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版は祈りだった。ヴァイオレットに幸せになって欲しい、そういう願いであり祈りであった。俺はあの劇場版を評価していないが、願いや祈りとしての作品だってのはわかる。だがシンエヴァ!お前のは単なる報告だ!そもそもこれはエヴァじゃねぇ、庵野秀明だ!作品にしろ!日記をやめろ!
結果的にエヴァを壊したのは真希波マリ(安野モヨコ)であり、それを徹底して修復不可能にしてしまったのも彼女であり、だけどそれでしか庵野自身は救われなかった。エヴァンゲリオンは庵野が描く物語から庵野自身になってしまった。シンは全てのキャラが庵野だった。エヴァじゃねぇだろそんなもの、対立しない存在が散らかってたって仕方ねぇだろう。補完されてんじゃねぇか、何なんだお前は。シン・エヴァはエヴァじゃねぇ!!

視聴者はエヴァの葬式を見に行ったんだ。それなのになんだ、勝手に結婚報告会見みたいな事をしやがって。お前のハッピーは理解したよ、だったらその急にポップしたマリの手を取る代償を支払えよ!全てを裏切る覚悟を見せろ!悔しい。悲しい。ちゃんとしてくれ。ハーコーなファンじゃない俺でもこんなにムカついてるんだ、彼らは本当にそうなんだろうよ。

結局、庵野は「義務に負けて作家性を失った」んですよ。そうじゃないですか。葬式をやる覚悟も無い。殺す気合も無い。まったく、残念で仕方ない。俺が見たのはエヴァじゃねぇ、庵野の言い訳だ。

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