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Re【小説】アーリオオーリオ煽り合いお見合い

 庭園にある鹿威しが鳴るのが聞こえた。
 卓上の茶はすっかり冷めている。
 俺と向き合って座る着物姿の女、その二人の間に会話の糸口は無い。
 そろそろ煙草が吸いたい。
 しかし喫煙所がどこにあるのかもわからない。
 地方の旅館ならここで吸えただろうに、と思う。
 または連れ込み宿だ。駅近くの連れ込み宿は惜しいことをした、取り壊しになるなんて残念だ。

 窓の外にちらと目をやる。
 陰鬱と言う文字がバラバラになって降り注いでいるのかと思う様な雨が垂れていた。
「ご趣味は、何を」
 ジョン・ケージに耐えられなくなった着物姿の女は脳髄を絞り切ったような声質で俺に訊いた。
 この勝負、俺の勝ちだ。
「まぁ、アーリオオーリオを、少々」
 俺は余裕をたっぷりと持って答えた。


 しかし意外にも女は目を光らせて食いついてきた。
「まぁ!アーリオオーリオを?奇遇ですね、わたくしもアーリオオーリオを嗜みますの」
「ほう、それはそれは。どのようなアーリオオーリオを?」
「えぇ、正統派の……と言うのもお恥ずかしいのですが、いわゆるアーリオオーリオでございますの」
 お互い口元に笑みを浮かべているが視線を外せない。
 冷め切ったお茶にすら手を伸ばせないでいた。


「そうですか。これは宗教的な質問になってしまいますが、バターはお使いになりますか」
「バター?まさか!ご冗談をおっしゃいますのね、それとも意地悪かしら?バターを使うアーリオオーリオなんてアーリオオーリオとは呼べませんわ」
「それは良かったです、ぼくもバターは使わない派閥なのですが、時折そう言う愚連隊の様な手合いがいるのでね。試すような具合になってしまって、謝ります」
「まぁ、よくってよ。でもどのような方とご交友があるのか、興信所に調べてもらおうかしら?」
 女はさも可笑しいと言うように着物の袖を口に当てて笑っている。
 しかし視線は切らずにこちらを見ている。

 

「はは、それには及びませんよ。ぼくは友達が少ないのでね」
「ご冗談を言って、面白い方ですのね」
「あなたはお友達が多いのですか?それだと挙式の時は助かりそうですな」
「お下品なことを言うのはおやめくださいまし」
「まぁいいでしょう、アーリオオーリオが趣味と申しましたね。ぼくはバターを使わないタイプですが、あなたが牛脂を使うタイプだと言う事はわかります」
「なんですって?」
 女の目つきが変わった。
 バターなんて撒き餌に釣られる方が悪い。


「ぼくの目を節穴だと思ってらっしゃるのか知りませんが、あなたが先ほどから隠しているその唇の艶は牛脂によるものですね。
 動物性の油脂、ことに牛脂は強い。
 趣味にアーリオオーリオと言うくらいだ、今朝も我慢できなかったのでしょう。
 そしていつも通り牛脂を使ってアーリオオーリオした。
 ぼくがアーリオオーリオの話題を振ってから、あなたは笑う口を隠すフリをして唇を隠していましたね。
 バターの使用を否定したことでさらに明確になった。
 そう、あなたはバターこそ使わないが牛脂を使うタイプのアーリオオーリオを嗜む人間だ。
 それでよく正統派なんて事が言えましたね。アーリオオーリオの神髄を忘れていらっしゃるのではないですか?」
 ぼくは一気にまくし立てると、卓上の冷えた緑茶を一息に飲み干した。
 湯呑み茶碗を机に置くと同時に、庭園の鹿威しが高い音を立てた。
 

 しばらく経ったろうか。
 降り注ぐ陰鬱が色を濃くした気がする。
 黙って俺の話を聞いていた女は薄い笑みをすっかり仕舞うと、今度はそちらも茶を飲み干してから口を開いた。
 その間も目はこちらを見たままだった。
「アーリオオーリオの神髄、と仰いましたわね。
 アーリオオーリオの神髄、確かにアーリオオーリオとは貧民の食事がそもそも起源とされていますわ。
 貧民の食卓に並ぶ料理に牛脂など似つかわしくない、と仰るのでしょう。
 純粋にオリーブ油とニンニク、パスタのゆで汁だけで構成された素朴なものを突き詰める。
 まさに道、アーリオオーリオ道でございますわね」
 女の目が熱せられたフライパンの様に力を帯びていく。

「オリーブ油の選別はもちろん、季節や気温で使う水と塩を変え、火加減も当然の様に気を配る。
 あなた様の言うアーリオオーリオとは奥深いものです。
 しかし、ですわ。
 しかしあなた様がお使いになられているニンニクは、それこそ国産の高級種でなくって?
 確かに国産ニンニクは香りも味も強く、少量で足りましてよ。
 それでもアーリオオーリオの神髄と仰いますからにはできるだけ安いニンニクを使用し、足りない味や香りをその量でカバーすることこそがアーリオオーリオの神髄とは言えませんこと?」
 女の黒い瞳はオリーブオイルを引かれた様に潤み始める。
 俺は音を立てないように唾を飲み込んだ。

「あら、なぜわかったのかと言うような顔をしてらっしゃいますわね。
 わたくし、これでも鼻が利きましてよ。
 今朝のあなた様はアーリオオーリオを我慢なされた様ですけれど、それでも昨日までのアーリオオーリオで摂ったニンニクの香りが毛穴と言う毛穴から立ち上ってらっしゃいますもの。
 あ、ご心配なさらず。普通の人にはわかりませんわ。」
 女の目からは今にも炒められるニンニクの爆ぜる音が聞こえてきそうだった。
 俺は視線を切らずに袖から出た自分の手を鼻に近づけて幾度か嗅いでいたが、やはりそんな臭いなど一切しなかった。

 だが女の言っている事は正しい。
 どうしても中国産が厭で高くても香りと味の良い青森県産のニンニクを使っているのだ。
「まぁニンニクチューブですとか、業スーの刻みニンニクを使っていない事は評価してあげてもよろしくてよ」
 女は自信を取り戻したのか、余裕たっぷりに笑みを浮かべている。
 だから甘いんだよ、女ってのは。
 勝負はここからだ。

 
「偉そうに言う割に、あなたはエキストラバージンのオリーブオイルに拘りがあるようだ。そちらこそ使う油は高級品ばかりか」
「それを言うならあなた様の使うお塩だって」
「鍋はルクルーゼってか」
「唐辛子も国産品ですのね」
「水はコントレックスだと、笑わせてくれる」
「パスタも国産品ですのね。国粋主義者の方かしら?」
「皿はノリタケでも使ってるのか、馬鹿馬鹿しい」
 コトン、と鹿威しが鳴った。

 
 襖がするりと開き、二人同時に向けた視線の先にはいやに高い帽子を被ったコックが頭を下げていた。
「お食事をお持ちいたしました。
 当店自慢のサラダとアーリオオーリオでございます」
 お見合いの席に、しかも和室にアーリオオーリオだと?
 そんな馬鹿な話があるか。
 俺は視線を目の前の女に戻す。
 女はニタニタと笑っている。
 俺が時代遅れなのか。
 俺の動揺を嘲笑っているのか。
 冗談じゃない。
 そんな馬鹿馬鹿しい事があるか。

 どん、と俺の腹の上に何かが乗った。
 目を開けるとやたら襟足の長い髪をしたガキがこちらを見ていた。
「もう起きる時間か」
 呟いてガキの頭を撫でるが、愛想を巻くでもなくガキは俺から降りてどこかへ行った。
 床に転がっているチノパンとポロシャツに袖を通してリビングに向かうと、キティちゃんのスリッパを履いた女が食卓にノリタケの皿を並べていた。


「起きたのね、よく眠れたかしら」
「あぁ、変な夢を見たよ」
「変な夢」
「うん、お前と言い合いをする夢だ」
「言い合いなんて珍しいわね」
 壁に掛かったワンピースのタペストリーを眺めていたが、それがどのキャラのイメージでいつからそこに貼ってあるかも覚えていない。
 だがさっき見た夢は鮮明に覚えている。
 さきほど俺に飛び乗ったガキは、近ごろ流行りだと言うちいかわのぬいぐるみを持って食卓の椅子に飛び乗った。


「おい、食事の時はそれをどこかに置いておけよ。汚して泣くのは自分だぞ」
 反抗期が始まったのか、ガキはテレビ画面を見ていた。
 俺がガキの頃は食事時になるとテレビが消され、何かを喋らされていた気がするが何を喋っていたのか思い出せない。
 もしかしたら黙ってメシを喰っていたのかも知れない。

 それはそうだ。
 俺にはきょう学校であった出来事なんて話すほどの事は無い。
 何もない、平凡でつまらない暗いわりに惨めとも呼べない日常だったからだ。
 女がブランチとしての食事を机の上に並べる。
 大皿に乗せられたそれは、悪夢を具現化したようなアーリオオーリオだった。

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