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カンボジアで乳がんになるvol.11 プラスマイナスゼロ

〜人生に起きるすべての事象に意味があり、価値がある〜

最近の私がいつも思うこと。
自分に起きる出来事は決して偶然ではなく意味があって起きているし、人生で出逢える数少ない人たちとのご縁も、とてつもない大きな宇宙の中で数パーセントの確率で起きていて、すごく価値があるものだと感じる。

30代の自分はこんなことを考えたこともなく、ひたすら毎日をガツガツ生きていた。仕事が楽しくて苦しくて、人と関わることが楽しくて苦しくて、楽しいこともあるんだけれどやっぱり毎日が苦しくて。夜中に家に帰ってひとりになると大きな孤独感が襲ってくる。だから朝から晩まで仕事や付き合いで外に出ていたのかもしれない。そんな中で、自分が勝手に背負っている「責任感」という感情がなんとか毎日を奮い立たせてくれて必死に生きていた感じ。

40代で、自分で起業した事業を手放した頃からモノゴトの捉え方が変わっていき、生き方も変わってきた。30代で背負っていた責任感を手放したからかもしれない。それは世間の常識?からすると「無責任」になるのかもしれないけれど、自分を縛り付けてきた、勝手に背負い込んでいた責任感を手放した。もっと軽やかに生きよう、自分の幸せって何なのかをちゃんと知って、そこに向き合って、幸せを大事にしようって思うようになった。「人のために」とかって綺麗な言葉で自分をごまかさないで、私自身の幸せをちゃんと見つめよう、本質に向き合う、そんな40代だった。

そして癌になった50歳の私。
検査や治療のために8月8日に日本に来て今約2週間くらい。この短い期間で自分でもはっきりと分かるくらいの大きな変化が自分の中で起きている。
今回日本に来てすぐに会った人と昨夜10日ぶりに再会したら「なんか顔つきが変わったね」と言われた。自分の内側が変わると外側にも変化が起きる。
この10日間は検査、検査、病院の日々でした。その検査の合間に友人と会い会話を重ねたり、電話でたくさん話したり、ひとりで宇宙と会話したりしていた(宇宙と会話するっていうとヤバい人っぽいけど、私の中で自分と対話するということは、宇宙というか大きな自分と会話しているイメージでついつい上を見上げてしまう)。
それから、以前から共感する哲学をお持ちの先生の本も何度も読んだ。

バンコクで癌と宣告された直後の自分は、癌の治療方法ばかりに囚われていた。どんな治療方法があるのかをひたすら追っていた。でも今は違う。癌というその症状にだけ向き合っても何も変わらない。本質は何か。いつだってそこが大切。

『なぜ癌になったのか?』

結果には原因がある。過程がある。そこを見ずして結果だけ追っていては本質に辿り着けない。病気だけでなく何事においても言えることではないだろうか。

『癌という病気は私に人生のメッセージをくれた』と今は思っている。

癌という病気になったおかげで、本当にたくさんのことを考え、かけがえのない大切な人たちが惜しみなく与えてくれる愛に気づき、これからの人生をどう生きるかを考えるチャンスをもらった。

私のメンターともいえる方からもらった言葉
「+(プラス)があれば−(マイナス)が必ずあるんだよ。もちろんその逆もね。」

プラスの隣にはマイナスがあり、マイナスの隣にはプラスがある。本当は事象は事象でしかないけれど、人はその事象を自分の価値観でプラスに見たり、マイナスに見たりする。自分がマイナスだと思うこと、例えば多くの人は病気や事故などトラブルと呼ぶものはマイナスに捉えるだろう、そのマイナスだと思うことの隣にはいつもプラスのメッセージがあるのだと思う。そこに気づけるか気づけないか、マイナスのことばかりなんてないし、プラスのことばかりでもない。いつもプラスマイナス、ゼロなんだ。

今はそんなフラットな気持ち。

ちょっと皆さんに伝えるにはわかりにくい文章になってしまったけれど、これは誰かに伝えるというよりも今の自分の気持ちを残しておきたい、ただそれだけ。


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