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カンボジアで乳がんになるvol.15.私が選択した生き方②

当たり前のように入院日を決めようとしていたドクターは、私が入院も手術も必要ないと言うと、それまでの穏やかな顔から激変。

「治療をしないってことですね、ここは病院です、治療をする人が来る場所です。では、今日で最後っていうことでこれで終わりですね」とその日の私の診察票みたいなものを目の前でゴミ箱に捨てた。私の顔も見ないで、ずっとキーボードを叩きながら。
先生の治療を受けないという決断をする患者はほとんどいないのだろう、私の決断に呆れたような、イライラしたような、そんな態度に見えた。

患者というものは、医者の治療方法を受け入れて、言われるがままに手術を受け、薬を投与されて、その薬で副作用がでれば、さらにその副作用を抑える薬を飲まされる。もちろん手術や薬で良くなることもあるし、回復していくこともある。ただ、どちらにせよ、自分の意思というよりも、ただ医者の言うことを受け入れるという感じ。

私は『治療しない』とは言っていない。このドクターが言う、日本の多くの医療従事者が癌の治療と考えている3大治療、「外科手術、抗がん剤治療、放射線治療」を受けないと言っているだけ。私の中では、治療=身体を元気にすることであり、そのために何をするかを考え、自分の身体を元気にするためには今は3大治療は必要としないという決断をしたまで。

もちろんその決断に至るまで癌について自分なりに色々と学んだ。生きることについても真剣に考えた。そして何より、自分が「死」とどういう風に向き合っていくのかについても多くの時間を費やした。誰もが経験する死について。

お医者様に「先生、助けてください、お願いします!」という癌患者さんが多いと思う。でも、私は自分の身体は自分で治すしかない、どうやって治すか自分で考えた結果、手術が必要だと思った時には手術を受ければいいし、薬を飲めば良いと思う。今必要ないと自分が感じれば、それを受けなくてもいいと思う。

がん細胞が身体にあるという結果だけを見るのではなく、なぜそうなったのか、原因を追究しなくては癌になった意味がない、「病気は気付き」って誰かが言っていた。病気は自分に送られたメッセージ。私の人生にやってきた大事なメッセージを無視して、他人である、私の人生について何も知らないドクターに全てを委ねることはできない。私は癌を通して自分の人生を見ている、ドクターは私の癌細胞だけを見ている。

自分で決断して病院に行ったけれど、「はい、じゃ、さよなら」って感じのドクターの態度にさすがにちょっと傷つきながら、でも自分で決めた道。と思って病院を後にした2023年8月21日。

翌日、新潟までご先祖様のお墓参りにひとりで行った。空を見上げながら6月に亡くなった父と話した。

そこからなかなかブログが書けなくなった。

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