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『卒業』はとにかく気持ちの悪い映画だった

※このnoteにはダスティン・ホフマン主演『卒業』のネタバレが含まれています。

今日は気分がハイになっているので、もう一本更新する
早稲田松竹で『卒業』『クレイマークレイマー』の2本立てを見たことは、ひとつ前のエントリで書いた。
どちらも名作の誉れ高い、映画史に残る傑作であるらしい。『卒業』のラストの、教会で花嫁を攫うシーンはパロディやオマージュを重ねられ、一種のミームになっている。
(ちなみにクレイマークレイマーは、離婚の話という曖昧な知識でしかなかった)
以下は、そのの忌憚のない感想である。

『卒業』

まだめちゃくちゃ若いダスティン・ホフマン主演。このホフマン演じるベンが、冒頭からクズっぷりを惜しみなく発揮する。

一応己の意志を持ってはいる。しかしたとえば、パーティーがあるから下へ降りてきてと言われて嫌がるけれども結局は言うことを聞く。庭に行きたくて移動する途中でパーティー客から誘われて断られず談笑する。優柔不断なのである。
父の共同経営者・ロビンソン氏の妻に誘惑されて、その優柔不断さから話術に絡め取られて夫が帰宅してやっと逃げ出す。その上、後日すっかり誘惑に乗ってしまって爛れて怠惰な肉体関係に陥る。

とにかく優柔不断で流されやすい。そのくせ欲望は享受するクズである。しかしこんなクズを好きになる女の子が現れる。よりによってロビンソン夫婦の一人娘、エレインである。

愛人のロビンソン夫人から「絶対に娘には手を出すな」と釘を差されても、ベンは頑なにエレインへ秋波を送る。エレインもまんざらでもなかったが、ベンが自分の母親と寝ていたことを暴露されて『GET OUT!!』とはっきりと拒絶する。

ベンの気持ち悪さはこれに留まらない。進学先のバークレーへ逃げたエレインを追い、用もないのに宿を取って居座る。わたしだったら自分の母親と寝ていた男に迫られたら吐き気を催して拒絶するだろう。だって気持ち悪いもの。

エレインはカールという青年との交際を匂わせたりして、なんとかベンの変心を待つが、暖簾に腕押しである。どこまでも尾行してくるベンに恐怖や悪心を感じ、エレインは大学をやめてしまう。

しかし、故郷の町に帰ってきたエレインは、なぜかベンへ恋心を抱いている。
もしかしてストーカーに洗脳されたのか…?

ロビンソン夫人との性行為をロビンソン氏が知り、ベンは恫喝される。娘には金輪際近づくなと宣言されて、さすがのベンも傷ついたようだ。
そんなベンから娘を隔離するために、夫妻はエレインとカールの結婚を急がせる。結婚式にまでこぎつけ、やっとあのストーカーから解放される…!と安心してたらベンが会場に現れあとは皆さんご存知の通り。

あのシーンは、若いカップルが親ないし世間の悪意あるいはお節介によって関係を抑圧され、その反動として花嫁盗みという極端な行動に出たのだろうと考えていた。その理由は、たとえば身分違いや政治・宗教の対立という不可抗力などではあるまいか、とも思った。

まさか恋人の母親と寝てて危険人物扱いを受けていたとは微塵も思わなかった!!

こうなると、親子丼自己憐憫体質のベンにエレインが惹かれるのがまったく理解できない。カールの描写はわずかだったが、少なくとも親子丼精力絶倫男より目立った欠点はない。一度突き放し、その後思い直すエレインか、わたしには異星人に見えてしかたなかった。

有名なあのラストシーンがここまで戸惑いと落ち着かなさを惹起するものだとは…。

別に主人公は常に正しい行動をなすべき、などとは思わないが、情婦の娘に手を出そうとする男の神経も、それに一度嫌悪感を見せてもなお惹かれる女のありようも、とにかく共感不能だった。

もちろん映像美だとか音楽などに注目すべき点があるのかもしれないが、人物たちの意味不明すぎる行動に、苛ついてしまった。この映画を高く評価することはできない。

あるいはこれは、刑事罰の対象ではない不倫に厳しい目を向けがちな21世紀の人間が判断したものたなのだろうか。将来倫理観が一変した後に見たら、見方が変わってしまうのだろうか。
その辺は流動的である。

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