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買った本とか発達障害者としての努力の見える化とか

まだ自分のことを健常者だと思っていた頃、わたしは立派な買い物依存症だった。読む時間に比して大量の本をAmazonでポチって届けてもらっていた。あのお金があれば海外旅行にも2度や3度行けたし、永久脱毛などもできたと思う。それだけの熱意で買った本は、転居を繰り返すうちに散逸していった。実にもったいない。無計画な発達障害者特有の失敗である。

そんな反省を胸に抱きつつ、つい本を買ってしまうのは、本当に宿痾としか言いようがない。量は随分と減ったので許されたい…(Kindle端末にもぎっちり本が入っている)(許されない)

借金玉『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』 https://www.amazon.jp/dp/4046020768?ref=ppx_pop_mob_ap_share

平野啓一郎『本の読み方 スロー・リーディングの実践』https://www.amazon.jp/dp/4569768997?ref=ppx_pop_mob_ap_share

橋本武『〈銀の匙〉の国語授業 』(岩波ジュニア新書) https://www.amazon.jp/dp/4005007090?ref=ppx_pop_mob_ap_share

借金玉さんの本は、就労を意識した時に読んでおきたくなった。まだまえがき(大変共感できて胸が痛い…)しか目を通してはいないが、自分を変えようと四苦八苦するよりとシステムや環境を変えることの方がより簡単である、という主張にはうなずきしかない。脳に障害があるのだから、健常者の根性論などはとうてい通用しない。

下の2冊は、公募ガイドの先月号を読んで『スローリーディング』が気になって調べた結果見つけた本だ。

灘高の国語教師だった橋本武さんが行っていた、中勘助『銀の匙』の授業のことは聞き知っていたので、これを機会に遅読をしてみたい。

たとえば明治から大正の文豪の小説を読んでいても、わからないことは数多い。着物の柄や着こなし方だったり、建物の仕組みだったり、生活習慣だったり。今まではそれらをなんとなく想像で補って、わかったふりをして読み進めていたが、それではどうしても理解がふんわりとしたものになってしまう。

やっぱりイメージはより明確で鮮烈なものの方が記憶にも定着しやすいのだが、そのようにイメージするすべがわからなかった。

簡単なことだ、読み進めてわからない言葉が出てくるたびに辞書を引くなりして調べればよいのである。思えば、かつて何も知らなかった頃は確かにそうやって読者をしていたはずだ。それなのに、歳を取るとそういう真摯な方法を忘れてしまうようだ。

平野啓一郎氏の本は、より実践的な読み方を例示しているようなので、参考にしたい。

今のわたしが目指しているのは、親への怨み言のわかりやすい言語化とエンタテインメント化なので、少しでも適切な語彙を見つけて表現しなければならない。『尊い(語彙力)』などという表現では、書き手のテンションはぎりぎり伝わっても、その内面は何も表現していないに等しい。

しばらく知的に怠惰な生活ばかりを送ってきたので、かなり脳が錆びついていると思う。少しでも若い頃の明瞭な感じを取り戻すためには、相応の努力が必要である。曖昧な『頑張ろう』は心に響かないが、具体的な努力目標を設定すれば、そこまで少しずつでも進むことができる。

よりイメージの己に近づくためには、適切な努力をしなければならない。努力の方向を間違えなければ、発達障害者として毀損され続けてきた自尊心や承認欲求も少しは補給されるであろう。

そしてこの『努力目標の設定』は、発達障害者として生きるのにも役立つ。借金玉さんの著書の記述と併せて考えたい。

いただいたサポートをガチャに費やすことはしません。自分の血肉にするよう約束いたします。