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映画で知る女性の権利と主体性〜国際女性デーに寄せて

3月8日は国際女性デーです。

最近は様々な企業や機関がこの日にイベントをしていますが、この日は元々、女性参政権を求めてデモが行われた日付です。女性の権利について考える日なんですね。

ヨガはその歴史の初期は男性が行うものでした。女性が行うようになったのはほんの100年ちょっと、そのうち、直近の20年で「女性中心」になった経緯があります。ただヨガの周辺で女性中心だからこそ逆に、女性の権利を考えることには少し遅れている部分があると感じることもあります。

この記事では気軽に楽しみつつ,女性の権利や主体性についてバイアスを捨てて知り,考えることができる3本の映画を紹介します。次の週末のプランにお邪魔できたら嬉しいです。

『未来を花束にして』

Suffragette/監督:サラ・ガヴロン/2015/英/106分

女性監督が描く英国の女性参政権運動にまつわる1本。

原題のSuffragettesとは,19世紀末から20世紀初頭にかけて参政権・選挙権を女性にも与えるように主張した女性団体のメンバーのこと。

女性参政権を求める活動家は一般にはsuffragistと呼ばれており,suffragetteはエメリン・パンクハーストを中心とするWSPU(女性政治社会連合; Women’s Social and Political Union)のメンバーを特に指していました。

この単語は, suffrage + ette の複合語です。suffrageは参政権,-etteは名詞語尾で,これがつくと女性形になる。もしくは「〜まがい,〜の代用品」の意味。単なる女性参政権と受け取るのは難しい蔑みのニュアンスが感じられます。

言葉で蔑まねばならない程には彼女達を持て余したのかもしれません。何しろWSPUの活動は爆弾テロや器物破損を含む過激なもので,逮捕された者はさらにハンガーストライキで対抗したと伝えられます。この戦闘的な方法が英国における女性参政権の獲得のために功を奏したのか,それとも遅らせたのかは歴史家の間でも見解が分かれるところです。

しかし,時に命を落とすような危険を顧みず,家族と離れることを余儀なくされてまで,参政権を求める活動にコミットした人たちがいることが,ほぼ全ての国で女性参政権が認められている時代と無関係だと言えるわけはありません。

この映画の主人公のモード・ワッツは子供の頃から洗濯工場で働いていて,同じ職場に勤める夫と幼い子供がいます。最初から積極的に政治運動に興味があったわけではなく,偶然が重なってその活動に関わっていく様子の描写が丁寧で良い脚本なんです(そして脚本も女性によります)。

なぜこの活動に参加しているかを問われ「もしかしたら、他の生き方があるかもしれないと思って」と口に出した時から、活動は巻き込まれただけでなく自らの意思によるものになります。常に気づきは不可逆なのかもしれません。

キャリー・マリガン演じるモードには特定のモデルはいないようです。だけどきっと,個人名も残っていないモードのような女性活動家が複数名いたはず。この時代にもハッシュタグがあったら「モードは私だ」とでも言うように#MeTooと呟いた女性達がいたのではないかと想像してしまいます。


『ビリーブ 未来への大逆転』

On the basis of sex/監督:ミミ・レダー/2017/米/120分

2020年に逝去した米国で2人目の女性最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ a.k.a Notorious RBGの伝記映画。ルースをフェリシティ・ジョーンズが,夫のマーティン・ギンズバーグをアーミー・ハマーが演じています。

最近の伝記やコミック原作の映画は出落ちギリギリなまでに姿を似せてくることが多いですが,ジョーンズは小柄なところ以外はRBGとはあまり似ていません。でも聡明で意思の強そうな目力は納得の人選です。

この映画で描かれるのはルースのハーバード大学ロースクール入学から最初の訴訟までが中心です。同学が女子の入学を許可したのはRBG入学の前年が初めてで,彼女が入学した時も女子の学生は少数派。新入生500名のうちのたった9名です。

多数派に認められる権利が少数派には認められないことは珍しいことではありません。いくつのも女性差別に出逢い,次第にルースは女性の権利について深く考えるようになります。しかしそういった訴訟を手掛けたくても法律事務所では女性を雇用しない。よくもこの困難に立ち向かい続けたなと思うほどです。

ただ,夫のマーティンは常に妻・ルースの味方。今でもこれほどフェミニストの男性は滅多にいないことと思いますが,実際の映像でもRBGはベタ褒めです。

映画の中で描かれるもマーティンが持込んだケースでした。この訴訟は男女の平等を求めるものですが,原告が男性なのがキモなのです。

裁判内容はと言うと…母親の介護のために介護士を雇おうとするのだが,原告男性が独身であることから所得控除が受けられない。介護は女性や妻を亡くした男性がするものという考えがあるから。

女性が差別されていることはわかっていたけど,それは当然とばかりに裁判では負け続けている。だけど男性も性別的役割の枠に押し込められているというわけ。ルースはここで法律の中にある性差別を見いだすのですね。

多くの男性が今まで当然だった権利を女性にシェアするのを渋っている中で,それによって不利益を被る男性がいるという点は見逃せません。現代でも通用する性差別以外の差別を考えるときにも重要なポイントです。

責任を果たし,ジェンダー平等と言う理想の実現のために常にハードワーカーでありつつ,自分のフェミニティについては肯定的なところもRBGのイケているところだと思うのですが,そういう部分もきちんと,さりげなく描かれています。

ミミ・レダー監督が他に手掛けた作品には『ディープ・インパクト(1998)』のような大作映画もあります。あまり話を聞くことはないですが,この時期に女性がこういうタイプの大作の監督に抜擢されるにはそれなりの苦労があったのではないかと思うと,この作品の説得力もひとしおでは。

大作監督を務めただけあって娯楽作としてのテンポの良さもあって飽きない作り。RBGのドキュメンタリーもとても良いのだけど,個人的には見る順番としてはこちらが先の方がおすすめです。


『テルマ&ルイーズ』

Thelma and Louse/監督:リドリー・スコット/1991/米/129分

今回紹介する映画の中では唯一の男性監督作品。そしてぶっちぎりで古い1本。90年代の女性版・アメリカン・ニューシネマとも言われることのあるロードムービーです。

主人公の2人を演じるのはスーザン・サランドンとジーナ・デイヴィス。2人とも強い女のイメージですが,ジーナ・デイヴィスはこの映画では(というか『プリティ・リーグ(1992)』でもかな)割とぶりっこ。対してスーザン・サランドンの方はThe・姉御!って感じ。なんと言うか,いいコンビなの。

そして南部の町に住む2人は親友同士。ジーナ・デイヴィス演じるテルマは横暴な夫に嫌気が差して,親友のルイーズと共にドライブへ。出かけた先でテルマがレイプされそうになり,ルイーズが加害者を殺してしまうところから2人の逃避行が始まります。

この映画はフェミニスト映画と言われつつも本当にそう言って良いかについて個人的にはやや疑問です。リドリー・スコットは単に「強い女がタイプ」なだけでは疑惑(だってエイリアンの人だよ)もありますし。

でも女同士の友情が描かれていて,助けを受けながらも2人でハンドルしていく様は素直にかっこいい。「仲良しじゃなくても信頼関係があればいい」という普段のわたしの発言とは多少ぶつかる部分があるとしても,です。

そして,それでもあまりに上手くいかないことがあり泣けてくるほど腹が立つことも‥。若い人の中には男性社会の中で自分だけでもとのし上がった名誉男性的なキャリア女性に対して厳しい意見を持つ人も見受けられ,正直私もその気持ちはめちゃくちゃわかります。でも今この頃の映画を見てみると,過去に女性が置かれていた立場が本当に弱く脆いことが示されます。この映画にはキャリア女性は出てこないけど,それでもこの世界で女性が認められるのがどれほど大変だったかは想像がつくはず。

フェミニスト映画として話題を博した『マッド・マックス 怒りのデス・ロード(2015)が好きで本作を観ていない人にはぜひ観ていただきたいです。最後まで観た時にその違いにハッとするのではないでしょうか。

出てくる男は見事にクズ揃いですが,なぜかその中でマイケル・マドセンが意外な役割を好演している他,若きブラッド・ピットも意外なキャラを好演です。

2010年代の2本の映画と違って,サブスク配信の機会は少ないかもしれませんがチャンスがあれば観てもらいたい90年代の女性映画の名作です。

この記事を書いたのは…
津野千枝(Svaha Yoga Founder)
仁義なき戦い・広島死闘編で北大路欣也にお水を渡す成田三樹夫がかっこいいのでみんなもみると良い。若い男の子の顔は全然覚えられません。

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