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なぜ、日本の女流作家には前髪パッツン黒髪ロングヘアが多いの?

もちろんその答えは、文学業界がいまだかなりなところ男社会で、オヤジたちじじいたちがおしとやかで優しい女性に幻想を抱いているからでしょう。(実際には髪型と性格はまったく無関係なのですが。)とうぜんのことながらそんな日本の女流作家はワンピース着用率が高い。もっとも、なかには例外的に、アフロヘアの女性作家もおられます。こちらは、男たちが社会のしがらみのなかで消耗しながら生きているがゆえ、破天荒な女性に自由の幻想をたくすからでしょう。つまりアフロヘアの女性作家の需要もまた少しはある。世の中は需要と供給で成り立っていますからね。したがって、女流作家は(無意識に?)、言わば、前髪パッツン黒髪ロングにするか、アフロヘアで生きるか、選択しておられるでしょう。



さらに極端には、20世紀末まだ八重洲ブックセンターが1階に小説および文学関係の本をずらりと並べ揃えていた時代、レジカウンターには30歳をちょっと越えた、2テールの綺麗な女性が座ってらしたもの。ぼくは言葉を失った。いくらなんでもそれはやりすぎだろ!?? 日本の文学好きオヤジの女性観って、ちょっとどうかとおもう。



いかにも対照的なことに、ローマの本屋でぼくをドキドキさせた女性店員は、胸ぐりの大きなぴちぴちの黒Tシャツで、見事なおっぱいを自慢しつつ、ジーンズ姿でてきぱき仕事をしてらしたもの。彼女の堂々たる巨乳に圧倒されて、ぼくには彼女の髪型の記憶がない。ボブだったような気もするけれど。いずれにせよ、ローマでの女性需要のありようがよくわかります。(余談ながらイタリアはさすが文学の国、ペーパーバック版の世界文学叢書が安価に揃っていて、ダンテ、カルヴィーノ、ユーゴー、モーパッサン、カミュ、トーマス・マン、カフカ、ボルヘスに混じって、ミシマやタニザキも含まれていてぼくは感心したもの。)



他方、日本の男の知識人たちの多くは、マオカラーのシャツにジャケットを羽織って、ノーネクタイによって、体制内で相対的な自由主義者であることを表明しておられます。例外的に、作家で役者の筒井康隆さんが着物姿なのは、文豪の筒井さんが文豪らしさを演出してらっしゃるからでしょう。


なお、画像は川上未映子さん。黒髪ロングではなく、眉毛を隠し目力強調型の前髪パッツンのボブであるところに彼女の闘う意志が表象されています。




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