見出し画像

画家 西村一成さんは愛知の一軒家で、おかあさんと猫と暮らしながら絵を描きつつけている。ドキュメンタリー映画『かいじゅう』

床に新聞紙が敷かれ、その上にベニヤ板、あるいは白い画用紙が置かれ、そこに西村さんは(ときにうなり声を上げながら)原色のアクリル絵の具を、あるいは墨汁を垂らす。その後ベニヤ板はたてかけられ、西村さんは色の上に色を重ね、あるいは色を墨で塗りつぶしたりして、方形のなかはカオスと自由の、あるいはときに暴力の空間になってゆく。



縁側の向こうには庭があって、緑が生い茂っている。西村さんは縁側に座り、柔らかく微笑んで煙草をくゆらしながら、庭の緑のなかに赤い実をつけるヘビイチゴを見やる。「おれ、ヘビイチゴと会話できるんだよ。」監督はフレームの外から訊ねる、「どんな会話を交わすんですか?」「きょうの天気とかさ。・・・。ヘビイチゴは赤いよね。あの赤がね・・・」



老いたおかあさんは優しく西村さんをサポートしている。白い美猫は西村さんをときに心配そうに見つめる。妹も姪っ子も西村さんに好意を寄せる。姪っ子は西村さんのことを「かいじゅう」と呼ぶ。西村さんはこのあだなを気に入っている。



西村さんは大学時代東京の武蔵野に暮した。統合失調症をわずらい、自殺しそこなったこともあることが打ち明けられる。生き延びた西村さんは、心を決めた、もう絵を描いてゆくしかないな。ただし、映画はことさら西村さんの統合失調症をドラマティックに強調するわけでもなく、またけっして美術評論家を取材して西村さんの絵を讃美する言葉を添えたりなどもしない。たとえどんな意味づけであろうと、なるべくできる限り意味づけたくないという態度があって、そこがまた上品である。




映画監督の伊勢朋矢さんは、1年間西村さんたちと寄り添うように暮らし、たんたんと映像を撮っていった。忙しくせちがらいこの世間でたいへんにめずらしい贅沢な低予算ドキュメンタリーである。音楽&音響を手掛けたのは(お見受けするところ、未知の音楽の自由なあり方を奔放に模索しておられる)パスカルズのロケット・マツさんである。




新宿の84席のミニ・シアター、K's cinema で7月12日まで上映中です。


この記事が参加している募集

#映画感想文

68,576件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?