山田丈造カルテットを聴きにPit Innへ行ったら、サフランシスコ在住のジャズマニア老夫婦と出会った。
山田丈造さん(トランペット、フリューゲル・ホルン)を知ったのは、ぼくの愛するピアニスト石田幹雄さんのライヴをアケタの店に聴きに行ったときだった。石田さんの緻密に構成された曲や、ビリー・ストレーホーンやセロニアス・モンクなどの曲に、山田さんのトランペットは心優しく凛々しいメロディで音楽におおらかで大きな世界を導入した。いかにも北海道育ちの人だなぁ、とおもったけれど、しかし(あたりまえのことながら)北海道育ちのトランペッターがみんな山田さんのような演奏ができるはずもない。
きのうの午後新宿ピット・インのスケジュールを見ると、夜公演は山田丈造カルテットで、ぼくはいそいそ出かけてみた。ピット・インへ行くなんて何年ぶりだろう? ぼくにとっての前回は、渋谷毅オーケストラにモヒカンで小柄な古澤良治郎さんが破れかぶれなドラムスを叩き、大男の川端民生さんがベースを弾いてらした頃だもの。かるく十五年は経っている。これではとうていぼくはジャズファンとは言えない。
ぼくの知らないうちにピット・インの夜公演は7時開場、7時半開演になっていて、むかしとは30分ほど前倒しになっていた。ぼくは当日券狙いゆえ、6時40分頃、店の前の椅子に座っていた。ほどなくして、70歳くらいの欧米人の老夫婦がぼくの隣に座った。ぼくは訊ねた、Where are you from? 男は答えた、We are from United State。ぼくは訊ねた、From which state in the USA are you from? するとかれは答えた、サンフランシスコからです。ただし、われわれはもともとはニューヨーク育ちです。ぼくは訊ねた、いまのサン・フランシスコっていかがですか? かれは答えた、けっしてVery fine とは言えませんね。ぼくは言った、「サンフランシスコって、坂のある街(a hilly city)でしょ、ぼくは行ったことはないけど、リチャード・ブローティガンを読んだものだし、ジャック・ケルアックも読んだ。City Lights 版でチャールズ・ブコフスキーも読んだなぁ。ヒッピー・ムーヴメンの街でもありましたね。」ぼくは訊ねた、「それにしてもよく山田丈造さんをお知りになりましたね」かれは微笑んだ、「友達が教えてくれました。」ぼくは言った、”If you want to know anything about Tokyo, please ask me.”かれは言った、「あなたの好きな日本のジャズ・ミュージシャンを教えてください。」ぼくは石田幹雄さんと渋谷毅オーケストラをお勧めした。かれは言った、「ディスクユニオンで探してみます。」後で知ったところかれらの東京滞在はほんの一週間で、残った円をすべてジャズCDに費やすつもりらしかった。ぼくは日本の高級蕎麦屋がなぜか1950年から1967年までのジャズをかける傾向がある話などして、かれらと盛りあがった。
やがて開場し、ぼくらは離れ離れの席に座った。カルテットのメンバーは山田丈造(Tp&Fh)、高橋佑成(P)、粟谷 巧(B)、髙橋直希(Ds)である。山田丈造さんのトランペットやフレンチホルンが歌心にあふれ雄大で、しかもフレージングの切り方がかっこいいのはいつもどおりながら、高橋佑成さんのピアノの和音が陰影を添え、しかもソロになると絶妙にスケールアウトしたり、先行きのわからないスリルを導入する。(山田丈造さんは奇跡のようにすばらしいピアニストで出会ってしまう!)ベースの髙橋直希さんがまたテクニシャンで、普通にビートを叩いていてさえも、かすかにポリリズムめいた緊張感があり、ベースの粟谷 巧さんは律儀にルートを弾きながらも、歌うときにはのびやかに歌う。演奏曲目は王道ジャズゆえ、ともすれば「おジャズ」になりがちなものながら、しかしかれらの場合そんなことは一切なく、けっしてコンサバとは言わせないスリルがある。
第一部が終了し、休憩時間にアメリカ男はぼくのところにかけつけて言った、「オープニングはJackie McLeanのMelody to Melody でしたね♡」とうれしそうに言った。さすがジャズリスナーとしての年季を感じるお言葉である。ぼくが知ってる曲はBilly Strayhornだけだった。第二部はCole Porterをはじめ、一曲一曲でさまざまな世界とさまざまな感情を体験させてくれた。アンコール前の『丈造スペシャル』という曲はひじょうにスリリングで息を飲んだ。
ライヴ終了後、ぼくはアメリカ人の老夫婦に挨拶に行き、感動を交わし合い、ぼくは”Enjoy Tokyo!”と言って別れた。