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信仰の障壁が西田哲学を難しくする

西田哲学の行為的直観について、一つの見方として

信仰の障壁

問題があると思います。つまり、行為的直観の根底には

世界を自分で構築できる

という発想があります。

これの逆が、古代ギリシャ哲学からの伝統がある、西洋文明の発想の根底には

神ならぬ人間は
世界を造ることは出来ない

と言う諦めがあります。有名な『洞窟の比喩』が示すように

我々は縛り付けられて
幻影しか見ることが出来ない

と言う状況です。

しかし、私達日本人には

皆が仏の智慧を持てる

と言う大乗仏教の教えがあります。その効果で

自分で社会の本質を観ることができる
世界を自力で再構築できる

と言う発想が、西田哲学の

行為的直観

を導き出しました。

こうした、宗教的な制約は

多くの人が意識していない

場合が多いから、色々とトラブルを起こします。

特に現在日本人は

西洋文明と古来日本文明の
中間でふらつく

状況です。学問知識で考えると、西洋文明に振れ、直感による納得は、古来の日本的なモノが影響します。

西田哲学は

西洋文明の哲学や科学を使い
その上で
日本的な仏の智慧を活かす

と言う難しい立ち位置です。逆にこれが見えると、西田哲学の見通しが良くなるでしょう。

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