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日本的な納得の仕組み

私達は、充実した学校教育によって

論理的な考え方
議論の方法

を、教え込まれています。しかしながら

論理で言われても何か納得出来ない

と、感じることが多くあります。

この理由は、私達が聖徳太子達の昔から持っている

日本的な納得法

があるのですが、それを多くの人が忘れているためです。

それでは「日本的な納得法」は、どのようなモノでしょう。これを理解する前に

和魂漢才

について、見直す必要があります。なお、ここで「漢才」は、「洋才」の間違いではと、思う人がいるでしょう。確かに、明治の文明開化以降

和魂洋才

は、日本国民の意識高揚などに、広く使われました。しかしながら、歴史を見ると

平安時代からの和魂漢才

が、私達日本人の心に、深く影響しています。

まずは、日本語の成り立ちを考えて見ましょう。古代の日本には

文字がなく話し言葉だけ

と言う状態でした。そこでは、まずは

好意を伝える歌

等がありました。つまり

魂の歌

でした。

次に、大陸から

文字=漢字

が入ります。こうして

書き言葉としての漢文

が伝わります。書き言葉の上では

色々な知識伝達
論理的な考え方

等ができるようになりました。ここで、大事なことは

論理と言っても西洋論理
比喩等を使うインド・中国論理

の違いです。インド論理の代表的な事例は

主張:あの山は火を有する
理由:煙を有するがゆえに
同喩:煙を有するものは火を有する。かまどのように
異喩:火を有しないものは煙を有しない。湖 のように
適用:かまどのようにあの山もそうである
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結論:あの山は火を有する

と言う形です。この様に、比喩を使うことで

体験で得たモノを一般化

できます。古代ギリシャの、プラトンなどの哲学者は

本質的要素(イデア)により
一般的な知識を記述

しました。つまり「洋才」は

論理的な言葉だけで伝わる知識

です。

しかしながら、日本に入ってきた

漢才は比喩主体
なので
共通体験や物語の
土台
が必要

でした。そこで、日本の先人達は

お経や中国の古典を読み
皆が解る形で広げる

等の手法で

魂に響く物語
を植えつけ
和魂を育て

ました。

さて、明治以降の教育は

論理的な会話

を教えましたが、私達それまでの

共通物語の上で理解

を、心の底では、手放していません。例えば、戦前には

神国日本の神話

があり、戦後日本の高度成長には

真面目で勤勉な日本人

と言う「共通認識」がありました。

こうした

共通の物語

の影響を、キチンと考えないと

本当の納得

を得ることは、難しいと思います。

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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