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武力解決を捨てさせる日本の知恵
人類の大きな問題として
世界から戦争をなくせるか?
があります。私の考えは
完全になくすことは難しい
しかし
減らすことは出来る
です。特に大事なことは
正当な防衛権・復讐権まで奪わない
と言うことです。これを、全て取り上げると、ウクライナへの侵略への対応が難しくなります。
さて、今回議論したいことは、日本の歴史上にみる、戦争放棄事例です。それは
戦国時代までの仏教は異端を武力討伐
->
徳川の平和では多くの教えの共存
と言う大変革です。
歴史の授業では、時間の制約もあり
織田信長の比叡山焼き討ちは教えても
天安法華の乱はおしえない
と言う状況です。
しかしながら、戦国時代の日本の仏教は
間違った教えで地獄に落とさないため
僧兵を使っても異端を征伐
が当たり前でした。少し例を挙げると
法華宗の信徒が山科の本願寺を焼き討ち
比叡山の僧兵が京都の法華宗信徒を焼き討ち(天安法華の乱)
高野山と根来寺の戦い
が直ぐに出てきます。
これに対して
織田信長の比叡山攻め
が、一つの切り口になります。こうして
武力を使うなら武力討伐
と言う形で、織田信長から豊臣秀吉は、まずは力で押さえ込みます。高野山は、焼き討ちを逃れる代わりに、武装解除の交渉をしています。
さて、次に豊臣秀吉は、宮島の千畳閣 - Wikipediaで
仏教の各宗派での戦没者への読経
を試みます。つまり各宗派の融和を試みました。なおこれに反発した
日蓮宗不受不施派は弾圧
します。多くの教科書では
キリスト教禁止は書いても
日蓮宗不受不施派弾圧は無視
が多いですが
排他的宗教への拒否
と言う一貫性があります。
さて仕上げは、徳川の政治です。そこでは
寺檀制度で民衆を支配
つまり統治機構に寺が取り込まれる
と言う状況です。こうして、体制側に取り込み、信者確保の安定を与えることで
武力的解決をさせない平和文化
を実現しました。
【本末制度・寺請制度・寺檀制度・宗門改めの違い】簡単にわかりやすく解説! | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト (nihonsi-jiten.com)
この発想は、戦争を抑える一つのヒントになると思います。
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