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お伊勢参りは内宮?外宮?
江戸時代のお伊勢参りは、外宮参拝の方が、内宮参拝より多かったようです。その後、明治の国家神道などの影響で、現在でも内宮の参拝者が多いようです。
さて、これを私たちの社会と、神様の関係で考えて見ました。つまり
江戸時代:平和で五穀豊穣を願う ->外宮
明治時代:外国に侵略されない強固な国->内宮
と言う図式です。
江戸時代は、色々と問題はありましたが、対外的侵略の危険性もなく、当面の恐怖は、飢餓でした。そこで
五穀豊穣の豊受大神を拝む
人が多くなりました。
一方、幕末から明治の時期は、西洋文明の大波にさらされ、国家の存続すら危ない状況でした。そこで
神話を共有し
国を興す天照大神を皆で拝む
発想は、明治の国政には一致したと思います。
但し、ここで大事なことは
挙国一致体制がどこまで持つか
と言う評価力が、日本の政治になかったと言うことです。
確かに、第2次大戦の敗戦後にも
国を興す天照大神
の力が必要でした。
しかし、現在のようにある程度の安全が確保された国では
多様性と豊かさを求めて
豊受大神を拝む
人が多くなってよいのではと思います。
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