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平成時代の「正解」主義

昭和の終わりから、平成の時代には、既に日本経済の高度成長も終わり、言わゆる「バブルはじけ」という状況になります。

そこでは、既に日本経済は、アメリカに追いついたということで

アメリカという模範が無くなる

状況になりました。こうした状況では、既にある「正解」を、追いかけるのではなく、自分の考えで方向を見出す必要がありました。そのような状況では、今までの「通産省指導」の経済方針も迷走します。一つの事例は

1980代頭の第5世代コンピュータ・プロジェクト

です。これは、当時主流であった、アメリカのIBM方式計算機の模倣でなく、日本の独自のコンピュータの構想を、根底から考えるという、10年計画でした。

しかしながら、この計画は、パソコンの急速な普及を予見できず、完全な空振りとなります。なお、IBM自体は、既に1984頃のコンピュータ見本市で、パソコン主体のビジネスに力を入れた展示を行っています。

こうした形で

通産省の「正解」

には色々と陰りが出てきました。

しかしながら、別の面で「正解」主義が強くなります。

それは

学校教育の充実

です。これには二つの面があります。一つは、大学進学率の向上です。もう一つは、技術進歩の結果で、教科書通りのモノが動く世界の実現です。

まず、進学率の向上は

学校的文明での話ができる世界

が広がりました。これは、昭和の時代なら

「素人が解る説明ができないのは理解できていない証拠」

と言う論法で、大学で専門的に習ったことも、もう一度現場の状況に合わせて、考え直す機会が多くありました。そこでは

学校で学んだとおりにはモノは動かない

と言う体験をして

学校の「正解」が全てではない

と言う体験をしていきます。

しかしながら、高学歴社会になると

数式で話をする

人が増えていきます。極端な話、アメリカなどの経営者達には、MBA資格取得者が増えてきました。そこでは、MBA手法での会話が多くなってきます。ここで

学校的な「正解」

が、卒業後も延長します。

さらに、技術の進歩は

学校教育の通りのモノがそのまま動く

世界をもたらします。これは、電子関係の技術で顕著ですが、昭和の時代なら

教科書通りの回路は雑音等に弱く使えない

のが現実でした。そこで

現場の智慧で動くようにする

と言う経験をします。

しかし、平成の時代なら、技術の進歩により

教科書通りにモノが動く

状況になってきます。もう少し言えば

教科書の理論をキチンと理解しないとモノの動きが解らない

と言う事態になります。例えば、モーターの制御に関しては、複素数や三角関数を使いまくった数式の理解が必須です。

こうして

学校の「正解」

が力を発揮するようになったのが、昭和から平成への変化です。

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