西洋哲学なしの日本的議論
昨日書いた、西洋文明的な思考の力は、産業革命以降の、豊かな市民生活を作りました。
さて、ここで日本の文明を、考えて見ましょう。昨日の議論からすれば
日本は哲学的思考を使わずに近代化
と言う離れ業を成し遂げました。この問題について、しっかり考えることは
日本的思考法の本質
と言うか
西洋文明との違い
が見えてきました。
私の考えでは、日本的思考は
現物そのもので考え
話し合える
と言う特徴があります。これは逆の面で捉えると、西洋的思考の
理想化したイデアでの思考
理論構築
を使わずに、思考したり、議論したりします。こうした、西洋文明的発想は、例えば
大きさなしの質点で
力学を作り出す
等の成果を生み出しました。
さて、日本的な発想に戻ると、明治維新から文明開化で
西洋文明の成果を受け入れ
しかも
日本的な調整
を行っています。ここで注目すべきは
明治の体制や技術革新は
複数の人間の議論の上で成立
したことです。あまり注目されないですが、急激な革新の場合
天才的な独裁者
が率いる国での成功例が多いのです。例えば、トルコの近代化は、
ムスタファ・ケマル・アタテュルク - Wikipe
と言う、天才の働きで成し遂げられました。
一方、日本の場合には、色々な人が働き
万機公論に決すべし
と言う風に議論ができています。例えば、西南戦争において、西郷軍の切り込みに、一般将兵が対応できない現実に対し
旧士族で対応
と言う議論がありました。これは
今すぐの対応は旧士族活用
長期的には旧士族の特別視は不適切
と言う二つの観点で、どちらにも理屈がありました。結局は
警官として任用した旧士族を
警視抜刀体として活用
と言う、落とし所を見いだしました。
このような、現実を見て、しかも長期のビジョンを持って、色々な立場で議論を行えるのが『日本的な智慧』だと思います。
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