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日本の哲学の二つの流れ

本棚の隅にあった、岩波文庫の「西田幾多郎哲学論集Ⅰ,Ⅲ」を読み直しています。難解極まりない本だから、ゆっくり解読していく必要があります。

さて、今回は、論集Ⅰに収録されている

「場所について」「左右田博士に答う」

の2つの論文から、明治からの日本の学問の流れ、について考えて見ました。

本来哲学は

全ての前提を除去し根本的に考える

作業です。それを実践したのが、西田幾多郎を代表とする、京都の哲学者達でした。「絶対矛盾的自己同一」に収束する、深い思考は、西洋文明の哲学とは別の大きなモノを示しています。更にそこから先の、日本の哲学の展開もあります。

一方、後進国としての日本は

近代的な国家の構築
特に法整備

が必要でした。こうした、西洋文明が求める法整備には

西洋文明の法哲学の理解

が必要です。ここでは

カントの言わんとしたことは何か

をキチンと理解し、それを踏まえた法構造の構築が必要になります。そしてこれを、欧米諸国に認めさせる必要がありました。

こうした、輸入学問の咀嚼を任務としたのが

東京大学

です。そこでは、哲学分野でも

先人の成果を理解する

ことが優先されています。こうした

ソクラテスがXXと言う
だけを覚える学問

と揶揄された「哲学」も、近代国家の成立には、諸外国に馬鹿にされないためにも必要でした。

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