14番

2020年10月31日、誕生日ゴールを決めた憲剛を見て、
現地で見ることはできなかったけど
やっぱりこの人は私のスーパーヒーローだなと思った。
翌、11月1日。突然の生配信。「引退」という文字。
仕事から帰ろうと車に乗り込んだ瞬間だった。
涙が止まらなくて、上司にただただ「これからどうすれば…」と言葉を溢した。
2時間、泣きながら家に帰ってきた。
次の日はフロサポの友達と憲剛のユニ持って飲み歩いたなぁ。
友達のスナックでただただ泣いて、常連さんに慰めてもらった。

あれから1年。
2021年10月31日。
やっと、自分の中で整理がついたので言葉にしておこうと思う。

中村憲剛というサッカー選手に出会ったのは2006年。
私は11歳だった。
毎回欠かさず見ていたA代表。
当時好きだった選手は川口能活選手と加地亮選手。
誕生日が14日の私は、気づけばその背中を追っていた。

初めてフロンターレの試合を等々力に見に行ったのは、
2007年のことだった。

川崎市民ではない私の周りには、
フロンターレが好きな友達は一人もいなくて
いつも他クラブが好きな友達と見ていた。

勝ちきれない日々が続き、
いつの間にかシルバーコレクターと呼ばれるようになった。

初めてゴール裏で見たのは、2012年。

アウェイに行けるようになったのは、大学生になってからだった。

個人的に1番苦しかったのは2016年シーズンだったなぁ。

海外にいた2017年。
早朝に起きて試合を見て、嬉しさと悔しさで
1日中泣いていたのも今となっては良い思い出。

中村憲剛というサッカー選手を好きになって、
川崎フロンターレというチームと出会った。

憲剛のいる、フロンターレのサッカーに魅せられて
たくさんのことを乗り越えてきた。

1番の思い出は、やっぱり2014年。
W杯メンバー落選後のブログだった。

大学に進学した私は、
高校3年生とき、全国大会決勝という夢を叶えた後で
バーンアウトシンドロームになっていた。

新生活のはずなのに、
何をするのも楽しくはなかった。

そんな時、憲剛がW杯メンバー落選の知らせ。
宏樹さん引退後、チームとしても苦しい中で
憲剛が綴った言葉一つ一つがあの頃の私にとっては、
苦しくて、そして温かかった。

目標もないまま、ダラダラ過ごすなんてもったいと
動き出すきっかけをくれたブログだった。

それから3年。
海外留学という一つの目標を達成した年に、
優勝するのはずるいなぁ!!!と思った。
(でもやっぱりめちゃくちゃ嬉しかった)

中村憲剛という選手が魅せるサッカーがだいすきで、
どんなに苦しい時でも顔を上げて、
スタンドを煽る姿がだいすきで。
勝った時にはピッチから、最高の笑顔を向けてくれる。

そんな憲剛のいないフロンターレを、
受け止めきれる自信がなくて
引退発表後の試合に行けなかった。
セレモニーですら、チケットを買ったのに
仕事を言い訳に行けなかった。

それでも後悔したくなくて、
なんとかチケットを譲ってもらえて行けた
天皇杯決勝。
正直、あの日のことはあんまり覚えていない。

それでも、どんどん季節は変わっていって
気づけばJリーグが開幕しフロンターレは無敗のまま突き進み
憲剛は追いかけきれないほどのメディアに出て
フロンターレやサッカー界のために動き続けていた。

このままじゃダメだなと思って、
久しぶりに行った等々力。

やっぱり私は、川崎フロンターレが
川崎フロンターレのサッカーがだいすきだった。

そしてやっぱり、こんなにも大切に思える川崎フロンターレに出会わせてくれた
中村憲剛がだいすきだと思った。

「常に自分に矢印を」

嫌なことがあるたびに、悲しいことがあるたびに、
目を逸らして逃げてばかりだった私が
私自身と向き合うことを大切にできるようになったのは、
どんな時でも言い訳をしないで、
サッカーと、サポーターと向き合い続けてくれた
憲剛がいたから。

川崎市民でない私が、
どんなに周りにシルバーコレクターと揶揄されても、
フロサポ!!と言い続けてこれたのは
私にとって川崎フロンターレのサポーターであることが、誇りだから。

10代のころ
「好きなサッカー選手は中村憲剛」って言っていうと、
「中村?俊輔じゃなくて?」と何度も言われてきた。
でも今は、どこのサポに出会っても、サッカー詳しくない人にだって
「センスいいね〜!」とか「テレビでよく見る!」って言ってもらえる。
11歳の私、見る目ありすぎでは?と思わせてくれてありがとうございます。笑

何が言いたいか、まとまらなくなってきたけど
とにかく、中村憲剛というサッカー選手に出会えたことが
私の人生の宝物です。

卑屈な私が、やっと前を向けたのは
憲剛がユニフォームを脱いでも
サッカーやフロンターレを愛していて、
違う場所で戦い続けている姿を見せてくれているから。
やっぱり、一生、私のヒーローです。

私事ですが、夢に見た川崎市民になりました。
憲剛が愛している川崎の町で、
これからも川崎フロンターレを応援し続けます。

本当に、本当に、どれだけ感謝を綴っても足りません。

お誕生日おめでとうございます。

これからも、ずっと応援しています。

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