見出し画像

お金を出したくなる文章ってなんだろう

 わたしはときどき、気になるトピックを検索窓に打ち込んで調べることがあります。情報のほとんどは無料で見れますが、たまにこんなページに行き当たります。

「この先を読むには有料の会員登録が必要です」

この文言を見ると、わたしはみるみるうちに萎えてしまいます。「なあんだ。つまんないの~」なんて文句を言いながら、きびすを返してさよならをします。

いえ、情報に対価を支払うのは大事です。記事を作るのにもお金がかかります。そんなことはわかっているのです。

だけどなんでしょう。こっちは買い物をする気はさらさらないのに、突然「ようこそいらっしゃいました! こちらの商品が気になりますか!」なんて言われても困るのです。財布だって持ってきていません。わたしはインターネットの海をお散歩しているのです。

ぶらぶらと歩いていて、いきなり「お客さま」に仕立て上げられると、興がさめてしまいます。わたしはただの通行人です。

でも普段のわたしは、財布のひもがものすごくゆるい自覚があります。気の向くままにTwitterの大海原をざぶざぶと泳いでいて、流れてくる漫画家さんの作品や誰かが紹介した雑誌、あらすじを見て気になった本などは、さくっと買ってしまいます。

しかし、こういう「お金を払ったら続きが読めるよ」系の記事で「読みたい! 払う!」となったことが、覚えている限りで一度もありません。


 なぜ軽率に購入を決める一方で、お金を出し渋る場面もあるのかを考えてみました。どうやらわたしの中には、いくつかの基準があるようです。

まず前提として、記憶と手元に残りにくいデジタル媒体のものは、できる限り避けて通っていました。実体のある商品は目が届く場所に置けても、電子の商品は情報の波に押しやられて、どこで何を買ったのかすぐに忘れてしまいます。覚えていないのなら、持っていないのと同じです。

もうひとつは、自分の中での「気になる度」が一定数を超えないと手が伸びないようでした。わたしの好みで構成されたTwitterで、気になる情報ばかりが流れてくるのは当然です。「ちょっと気になる」程度で課金の柵を越えられるかと言えば、そうではありません。至極当たり前のことです。

そして購買欲を刺激する最大の理由は、書いた人の性格が文章からにじみ出ていて、自分の琴線に触れるものであることでした。

とにかく自分が「いい!」と思えるものには、時を置かずにお金を払うようです。わたしの感性をいちばん信用しているのは、他でもないわたし自身なのでした。アンテナに反応があった瞬間の高揚は何者にも代え難いのです。


 こうして理由を並べ立ててみましたが、どうやら「好き」を原動力に行動しているわたしと、通りかかる人すべてに商品を勧めてくるメディアは相性が合わないようです。だから「買いたい文章」と「食指が動かない文章」が世界に混在しているのでしょう。

向こうもビジネスですし、仕方がありません。たぶん、わたしが意識の底で歩み寄りを見せることが必要なのです。


ここまで読んでくださってありがとうございます!もしあなたの心に刺さった文章があれば、コメントで教えてもらえるとうれしいです。喜びでわたしが飛び跳ねます。・*・:≡( ε:)