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世界にはきみしかいないから

 じりじりと照りつける太陽が夏の訪れを感じさせるころ、一日限りの演劇の祭典が日本武道館で行われました。

このイベントは、世の中が得体の知れない病におびえ、自由に外に出ることも許されなかった時期に、

「俳優でドラフト会議をやったらおもしろそう」

と1人の役者が演劇プロデューサーとのリモート配信で発言したことをきっかけに生まれた企画でした。

「あ! いいねえ! おもしろそう!」

やけに乗り気なプロデューサーの言葉を最後に、それから何の音沙汰もなかったプロジェクトが、2年の時を経て開催されることになったのです。


 2022年3月、有名なホテルのホールで、プロ野球のドラフト会議と比べても遜色ないほどのたくさんのカメラと大勢のスタッフに囲まれながら、選抜が行われました。選ばれし4人の座長が、共演する俳優や演出家、そして演劇テーマを選択していきます。きみは座長側にいて、ときおり他のメンバーと役者の奪い合いをしていました。

 あいにく本番は平日のど真ん中で、飛行機の距離に住んでいるわたしは行くことすら叶いませんでした。ですが、うれしいことに配信があるというのです。仕事が終わると同時にスマホを開けば、オープニングは観られなくても、演目には間に合いそうです。

春の会議できみが選び取ったテーマは「りんご」でした。箱から引いた紙を手に頭を悩ませながらも「もう構想はできています」と言い放ち、会場をどよめかせた言葉の真意にようやくお目にかかれるのです。


 舞台が始まった瞬間、わたしは劇団のかもし出す雰囲気にずるずると引き込まれていきました。それぞれの表現力に惹きつけられたのはもちろんのこと、きみが発案をして演出家が練り上げた脚本を理解しようと、画面に釘づけになったのです。しかし1人のキャストの台詞で、わたしは考えるのをやめてしまいました。

「私は今からあなたを誘拐します」

ステージにいる役者に対してではなく、明らかにその場に座っている観客と、カメラの奥の視聴者に向けてそう言っていたのです。これは自分の理解を超える物語だと気づいたわたしは、話に置いていかれないようスピーカーに耳を傾けました。

 作品のおおまかなストーリーは「分断された4つの世界をひとつにする」というものでした。4人のキャストが林檎の花言葉のついた「世界」を手に、あるときは対話で、またあるときは力で、ひとつに戻そうと奮闘します。その様子を、すでに終わった話をなぞるかのように、MC役の役者が淡々と解説していました。

他の3人を力でねじ伏せ、舞台の上に残ったのはきみだけになりました。そして「この行為は正当だ」と客席に向かって説き、重々しい口ぶりで手を挙げるよう促します。

どうやら観客の全員が挙手しなければ、世界がひとつにならないようでした。しかし何も起こりません。当たり前です。わたしたちは拍手をすることはあっても、手を挙げることは滅多にしないのですから。そこを逆手にとった演出に思わずうなりました。

 どうして手を挙げないのだと困惑するきみの後ろで、床に伏せていた3人が動き出しました。動きはどこかぎこちなく、まるでロボットのようです。思わぬ出来事に、さらに戸惑いの色を深めます。

最初に倒した1人が、立ち上がりながら言いました。

「それはヒトだからだと思います」

台詞を聞いたわたしは混乱しました。たしかに倒した3人のうち、1人はAIだったと作中で明かされています。でもその言い方は、観客が人間で、他はAIだと言っているように聞こえたのです。頭を抱えるわたしをよそに、どんどん話は進んでいきました。

起き上がった3人が言うには、ここはきみがヒトを模して作り出した、AIの世界のようでした。はじめから舞台上にヒトなんていなかったのです。観客であるわたしたちだけが、人間だったのです。

話を聞きながら、きみ自身もAIに変化していきました。

「ここにいたいのだ」

「ヒトとしてここに在りたいのだ」

気迫が目に見えるほど抗い続けても、どんどん動きが固くなっていきます。必死の抵抗もむなしく、完全にAIに置き換わったきみは、ぴたりと動きを止めてしまいました。


最後にきみが言う台詞で、舞台は幕を閉じます。

「世界にはあなたしかいないから」

そして、こう続けます。

「だから、私はあなたを誘拐します」

冒頭の「あなた」も、ここで言う「あなた」も、わたしたち観客のことを指します。でも、この台詞はいくらでも解釈ができると思うのです。ですが、あまりにも難解で、他に言い表すすべをわたしは持ちません。

それでも作品の言葉を借りてひねり出すなら、

「あなたがいなければ、物語は紡がれず、世界は止まったままだ」

そんなメッセージがこめられた演目のように思いました。演劇が歩みを止めた時期があったからこそ、生まれた作品なのだと感じます。


 こんなにも素晴らしい演劇が世に出たのに、今の時点では再配信の情報さえありません。頭の片すみに押し込まれた記憶と、当時のメモを引っ張り出して、この文を書き綴っています。

映像越しでもいい。わたしはもう一度、切なくも儚い物語を味わいたいのです。


この記事は、【10/1~】自分を緩ませて文章を書くための1か月オンライン執筆教室の第2期で書いた記念すべき(?)1本目です。
2022年6月に開催された「演劇ドラフトグランプリ」の「劇団打」の演目についてざっくりと書いてみました。細かいところは覚えていませんし、考察なんかは大の苦手なのでほんとうにざっくりです。どうやら新約聖書を題材にした脚本らしいですが、通ってない道すぎて未知。お願いだから戯曲本出してくれ。

倉園さんから朱入れをいただく前の下書きはこちらです。冒頭から1000文字くらいまでの文章に朱入れをしていただきました。
第1期の1本目とくらべると、ずいぶんと朱の量が減ったように思います。少なくともぎちぎちに詰まった文章が解消されて、だいぶ読みやすくなったと感じます。
修正点が少なくなったのは手放しに喜んでいいことなのでしょうが、凝り固まった箇所がじんわりとほぐされるあの感覚をまだまだ体験したかったなーという気持ちも抱えつつ、修正作業にいそしみました。

あと、自分自身、まったく意識していなかったのですが、文語調の言い回しをじゃんじゃん使っていたようなのです。かしこまった表現を好きこのんで用いていた名残でしょうか。こういう「自分では気づきにくい文章のクセ」を指摘していただけるのはすごくありがたいです。


ここまで読んでくださってありがとうございます!もしあなたの心に刺さった文章があれば、コメントで教えてもらえるとうれしいです。喜びでわたしが飛び跳ねます。・*・:≡( ε:)