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文章を書くのがずっと苦手だった

 2019年で更新が止まったきみのブログをたまに読み返す。止まる前の最後の記事は、電車からの風景を情感たっぷりに書き綴り「俺、天才かも。小説家でも目指そうかな」という言葉で締めくくられていた。

わたしはその一文を見て

「小説家、すごいなあ。わたしにはとうてい無理な話だ」

と思った。


 わたしは物心ついたときから、文章を書くのが苦手だった。読書感想文は夏休みの最後の週まで手がつけられず、床に転がって「わかんないよ~!」と駄々をこねていた。

見かねた親が「自分が思ったことを書けばいいんだよ」と優しくアドバイスをくれるも、思ったことなんて一文字も出てこなくて、400字詰めの原稿用紙を前に途方にくれていた。

なんとか提出にはこぎつけていたけれど、どうやって書き上げていたのかはさっぱり覚えていない。でもきっと、図書室で借りてきた本を渋い顔でめくり、目に付いた文章から言葉をふくらませていたのだと思う。

そうやって何度も書くうちに、だんだん「書き方の型」のようなものを自分の中で作り上げるようになった。

「こんな本を読みました」「特におもしろいと思ったのはこれこれこういうところです」「おなじ作者の他の本も読んでみようと思います」

自己流の型ができて書くのが楽になったかというと、そんなことはなかった。机の前でうんうんとうなり、止まりそうになる頭を必死に動かして鉛筆を走らせた。

本の文章をそのまま引用すれば文字数が稼げると気づいてからは、マス目の大半を借り物の言葉で埋めつくした。自分で考える文章は味付け程度になった。でも出せさえすればそれでよかった。わたしのまわりに、かぎかっこだらけの作文を咎める人はひとりもいなかった。


 「書くことが苦手」という意識に拍車をかけた出来ごとがある。小学生のときの講演会で、講師の先生が自作の資料を配り始めたのだ。講演に関する情報がずらずらとならぶ中、いちばん最後のページにそれまでに寄せられたいろいろな生徒からの感想が印刷されていた。

それを読んだ瞬間、限られた時間で人の心を打つ文章を書ける人がこんなにいるのかと衝撃を受けた。同時に、わたしの書く付け焼き刃の文字が手の施しようもないがらくたのように感じられた。

たぶん、先生は、自分がもらった宝物を見てほしくて、感想を載せていたのだと思う。わが子が描いた家族の似顔絵を、大切に飾りつけるのと同じ感覚なのだ。

だけどわたしの書くものは一生、誰かの「だいじなもの入れ」に納められることはないという意識が、心の奥底に根づよく残ってしまった。

それ以降、感想を書く機会を与えられては「その場の思いつきで書き殴った、こんなにも中身のない感想文を読むなんて、講師の先生はかわいそうだなあ」と教壇に集められるプリントを見送りながら思ったのだ。


 鉛筆を持って原稿用紙に向き合うとき、からからに乾いたスポンジをぎゅうぎゅうにしぼる感覚が根底にあった。いくら力をこめても出てくるものは何もなく、手のひらからぽろぽろとこぼれ落ちる屑をかき集めては、それらしく整えて空白を埋めた。

演劇に出会ってから文章の表現にすこしだけ変化があった。わたしが受ける衝撃や感動で、頭の中にあるスポンジがちょっとずつ潤っていったのだ。

それでも長いあいだ力任せに扱ってきたスポンジはくたくたになっていて、出てくる感想が薄汚れているように思えて仕方なかった。こんなものを読むきみを気の毒に思った。

執筆教室に参加してからはわずかながら書くことが楽しくなった。きみを思い浮かべながら言葉を探すときだけ、無敵でいられたのだ。色とりどりの花を選び取るような高揚がそこにあった。

だけど「書くのは楽しいものじゃない」「わたしの書く文章に価値なんかない」なんて意識のほうがはるかに強かった。蓄積した心の澱を取りのぞくのはそう簡単じゃなかった。

正直に言うと、期間中に辛いと思うことは何度もあった。自分よりうまい人の文章を読むたびに手が震えた。本当にわたしはここにいていいのかと揺らぐこともあった。

でも講師のお二人からコメントをもらうのはうれしかったし、他の人の記事を読むのはとても勉強になった。2か月間みっちりと文章に向き合った今はこの教室に参加してよかったと心から思える。

ここまで読んでくださってありがとうございます!もしあなたの心に刺さった文章があれば、コメントで教えてもらえるとうれしいです。喜びでわたしが飛び跳ねます。・*・:≡( ε:)