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絵が上手くなるという事

昔の中国だったかの逸話にあるらしい話。

絵が上手くなりたくて当代一と言われる絵師に弟子入りした人が「絵の基礎は丸である、描いてみなさい」って言われて描いたんだけど手が震えて震えてガタガタなものしか描けず、絵師は綺麗な丸を描いてみせて、「これが描けるようになりなさい」ってお手本渡して、弟子は一年間練習して綺麗な丸が描けるようになって、これで絵を教われると思ったら、絵師は弟子が最初に描いたガタガタの丸の絵を出して「これが描けるようになりなさい」って申し渡した。

彼はもう一年最初の丸を描けるように練習し、その後絵の手ほどきを受けることが出来て、絵師として名を遺したとか〆られてた気がするがその後はうろ覚え。

昔教育か何かでやってた、5分くらいの、もしかしたら番組内の1コーナー的なミニアニメみたいなのでこれを知ったんだけど、この話は絵を描くのが好きだった子供の頃の私にガツンとインパクトを残してくれた。

「綺麗に描くだけじゃダメなの!? 最初の丸描けないといけないのはなんで!?」って。

この話、あまりにも自分にとって訳が分からずインパクトがでかすぎて、そもこんな話だったかどうかもうろ覚えのまま心に残っていて、思い出すたびにこれって何を喩えたものなんだろうと考える話なのだけど、最近になってまぁまぁ真実の一面に近付けたんではないかなぁと思い至ったことがある。


昔、○○社スクールという所から、当時雑誌投稿してた私に「あなたの絵よく描けてるから受講してランクアップしませんか?」って招待のハガキが来て、説明会場に出向いた先で「こんな下手な絵をこんなに上手に描けるようになりますよ」って例として出された絵が、上手くなる前の方確かにタッチなどはこなれてないんだけど全然個性的で面白い絵だったので、これはよくねぇと思ってそのまま帰った経験がある。

twitterにビフォアアフタータグというのがある。昔の絵から比べて今こんなに上手くなりましたよっていうのを宣伝するためのタグなんだけど、どうも時々「昔の方がいい絵描けてるくない?」って思うものが混じっている。

何度か同様の事を経験して、これは僕の好き好み程度の話なんじゃないかと思ったこともあるんだけど、元そういう仕事をしてた人からの意見もだいたい一致していたのでやっぱそういう事あるんやなって、それで思い出したのが冒頭の話だ。


なんで綺麗な丸を描くだけで終わらせなかったか私なりに考えてたことなんだけども、絵って、上手くなる過程で削ぎ落とされる部分が絶対にあるんだけど、それは野菜のアクのようなもので、本来ならうまさの成分だったはずのものだ。だけど、それらが無秩序にこり固まったせいでうまみではなく雑味となってしまい、手っ取り早くおいしいものを食べたいときは取り除かれてしまう。

でも、一度手癖を切り離した後、ごったまぜのせいで雑味にしかならなかった部分を整理し洗練させて身に着け直すことで、その人だけが持ち得る個性となり武器となるのではないかと、その逸話はそのことを表していたのではないかと思うのだ。

マンガ絵はデッサンを覚えることで下手になる、と言われることがあるんだけど、似たような構造の話なんじゃないかと思う。デジタルやり始めのアナログ絵描きが大体似たような失敗をやらかす理由も似ている気がする。


絵ってのは、表現だ。

ただ、上手く表現をするために技術がある。けど、上手くなる事にだけ注力してしまうと表現を置き去りにしてしまう。洗練したはいいけど画一化もしてしまった状態。これが「おもしろくない絵」の正体。

綺麗な○だけが評価されるなら、わざわざ手で描かなくとも道具を使えばいい。そこで終わるのが絵なら、なんてつまらないものだらけだろう。

そうじゃないから面白いんだ。だから私は絵を描くのが好きなんだ。


「それ」を取りこぼすなよ、て話なんじゃないかなぁ? と思っているんだが、どうだろうか。

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