2.PSYCHO(1998)、タイトル・デザインインタビュー。チームで作品を作ること。

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前回書いた、Catch me if you canのタイトル・デザインのインタビューで、ソウル・バスの話しが出てきました。
続けて、彼の作品について語らうインタビューを訳してみます。(本文)

サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の「PSYCHO」(1960)のタイトル・デザインをソウル・バスは手掛けました。
その後、1998年にこの映画は、ガス・ヴァン・サント監督によってリメイクされます。
その機会に、タイトル・デザインも一部改変されているのですが、こちらはその、リ・デザインを担当したデザイナー、パブロ・フェロと、その息子アレン・フェロへのインタビューです。

※私の意訳です。勉強のために訳している節もあるので、変なとこがあったらぜひ教えてください。

タイトルデザイナー、パブロ・フェロと、アレン・フェロとのディスカッション
インタビュア:
——1998年の「サイコ」のリメイクについてちょっと話しましょう。ガス・ヴァン・サントと共に手掛けた作品ですが、少し変わったプロジェクトだったと聞きましたが?

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「サイコ」(1998)劇場版予告編
(本文では動画で見れます。)
アレン:
ローラ・ジスキン(アメリカの映画プロデューサー)がはじめに、父パブロを「誘う女」に引き込んだ。そこでガスは、彼の芸術性に一目惚れして、2人の仕事での相性もよかった。それで彼が、監督として僕らに「サイコ」の話を持ってきたんだ。
パブロ:
僕らは「誘う女」を以前ガスとやった。で、これもやらないか、と僕らを雇ったのさ。
インタビュア:
——このプロジェクトの、はじめてのミーティングはどうでしたか?
ヴァン・サントは、あなた方に、ソウル・バスのあのタイトル・シークエンスをリメイクして欲しいんだ、とだけ言ったの?
パブロ:
そう!まあ、「リメイク」とは言ってなかったね——正確には「バスをしろ!」。彼は全く同一になるよう、全部のショットを真似ていて、僕もソウルのやった事全てを真似た。ソウルの材料しか使わなかったし、彼の道から外れる事は何もやってない。
僕がやったのは、白黒印刷でプリントして、ハイ・コントラストになるように処理をした。作品を全部掃除して、どこまでも続く黒をはっきり見れるようにね。
作品を受け取って、つや消しをして、それから、バスのやったことをそのままやった。

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ソウル・バスによる「サイコ」(1960)メイン・タイトル
(本文で、こちらも動画で見られます。)
インタビュア:
——色についてはどうでしょう。オリジナルのフィルムでは、白黒ですよね。
パブロ:
「サイコ」がカラー映画だったらって考えて、「どんな色でできるかな?」、「どの色?」、「恐怖の色って何だよ!」って感じで、全部違った色で撮影して、緑が一番しっくりきたんだ。
インタビュア:
——すごい!では別バージョンのシークエンスは、また違った色なんですね?
パブロ:
そういうことだね!
アレン:
原色の、赤、青、緑。その時他にどの色を考えてたか思い出せないけど。露光と透明性をチェックするセットでね——最後は父が選んだ。
インタビュア:
——製作を進めていく上で、何かに打ち当たったことは?
パブロ:
昔は、スクリーン画面より長い俳優のクレジットを抱えてたそうだ。それが僕らの救いだった。っていうのも、ガスはもっと俳優を追加していったんだ!僕はオリジナルとおんなじスペースに、もっと俳優の名前を詰め込まなくちゃいけなかった。
幸運にも、それができる時間が十分あって良かったけどね。

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「サイコ」(1960)と「サイコ」(1998)
のタイトル・デザインを並べて比較。(本文では動画で違いがよくわかるようになっています。)
パブロ:
言いたいのは、作品の髪の毛一本も触ってないってこと。彼のバーの表現も全く変えなかったし、使っただけ。ここの表現をまたここでも繰り返して、だけど、それだけが唯一僕が作った違いだよ。全員白黒表現は大好きだ。目で頂くご馳走みたいなものさ。オリジナルはすでに完成しているから、これはサーカスの余興みたいな感じだね。
アレン:
究極の、ソウルへのオマージュだ。両方が多大な尊敬をお互いに抱いているから…
パブロ:
エレーヌもね。彼女も僕と一緒に製作をした。
アレン:
そうだね。オリジナルに、とても深い尊敬と、愛情を感じてた。それこそが、この方向性にするために、意味を与えたものだ。

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タイトル・デザイナーのパブロ・フェロ、カリフォルニア州ロサンゼルスのタイトル・ハウスにて、1997年
インタビュア:
——エレーヌ・バスとの仕事はどのようなものでしたか?
パブロ:
やりやすかった。いい人だしね。仕事で—取り組むには膨大な時間を過ごさなきゃいけないわけだけど—やりやすい時間だったね。彼女と製作できて良かった。彼女はとっても感じのいい人だ。60年代風に言うならば、良いバイブス!
アレン:
彼女は、このプロジェクトでの、父の存在感にすごいリラックスしていたよ。これはガスの思惑だと思うけど。ソウルが亡くなってしまった事は、エレーヌと、ジェニファー(娘であるジェニファー・バス)にとって、まだ昔のことじゃない。彼女は君が居た事、特に、プロジェクトがオマージュであるという事にとても安心していた。
同時に、父パブロが手掛けているという点で現代的でもある、だから、ああいう風にリメイクされた映画として見たときに、不思議といきいきとしてた。
パブロ:
僕はただやれっていわれた事をやっただけだけど(笑)!
インタビュア:
——ソウルとエレーヌは40年近く共同製作者としてやってきましたが、エレーヌはソウルほど多くクレジットされてるわけじゃありません。お二方はどうしてだと思いますか?

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ソウル・バスとエレーヌ・バスが特殊効果を手掛けている様子、1967年
アレン:
誰かの右腕になったり、「ミューズ」になるっていうことの面白さは、創造性にぴったり寄り添う事なんだ。彼らがなにを求めてるのか学ぶことができるし、どんな風な演出を求めてるのか、予測できる。
エレーヌもそうだ—僕の父に対することと同じに。エレーヌは他の誰よりもソウルを理解してた。その上で彼女は自分がやった仕事に対してクレジットを入れた。もしかしたら、ちょっとは知らんぷりして見逃したかもだけど、でも、彼女は知ってたと思うんだ——そしてこの仕事をやって、この作品の価値を認めてる人の大多数が——彼女がソウルにインプットしてくれた事を、すばらしいと思ってる。
もちろん、ソウルと一緒に制作する人は大勢いて、協力してやり遂げた作品だけど、それでも、ソウルは制作指揮で、エレーヌはその時、仕事の間中そばにいたんだ。その点、彼女には明らかに敵わない。
パブロ:
そうだね、彼女はアシスタントからはじまって、最後にはソウルより良くやってたんだ!彼女はソウルに素晴らしいアイデアを与えただろうね。で、ソウルはエレーヌと結婚したんだ、彼女がどっか行っちゃわないように(笑)!
インタビュア:
——お二方の、お気に入りのソウル・バス、またはエレーヌ・バス制作のタイトル・シークエンスはありますか?
パブロ:
「黄金の腕」。ソウル・バスの。見たときは、信じられなかった。シンプルな線画なんだけど、本当に力強いんだ。おもわず、「わお、これが『美』か」って。
アレン:
僕も早いうちから何回もそう叩き込まれたよ、でも父にとっても同じようなものだったんじゃないかな。僕らはソウル・バスとモーリス・ビンダーを本当に尊敬しているんだ。今日も近くに居てくれたらなあと思うけど、本当に彼らは、優れた「目」を持った人達だよ。

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ソウル・バスによる「黄金の腕」(1955)のタイトル・デザイン(本文では、こちらも動画で見られます。)
アレン:
プロジェクトでは、一体自分自身が何をしているのかを知らないといけない、与えられたクリエイティブなプロジェクトをこなしていくにあたって、2つのモードが有るってことを理解しないと。一つには、会とかグループ規模で、何か成し遂げようっていう人たちを集める、それで次には、ただ本当の所はどうなのか、根本的な理解のある他の人たちを得てこそ、仕事になるんだ。
パブロ:
僕、ソウル・バスについてちょっと語りたい事があるんだ、っていうのも彼の問題と同じことを僕は抱えてる。
ヒッチコックは、バスが絵コンテをやったことも、(「サイコ」のあのシャワーのシーンのために)全部のアングルを撮影した事には一度も言及しなかった。ソウルは、ジャネット・レイの前、そのシーンを別の女の子で撮影したんだ…これはエレーヌ・バスが、僕らと一緒に制作してた時に教えてくれたんだけど。
エレーヌは(ヒッチコックを)非難して、僕に、ソウルが何をしたのか教えてくれた。それで、「僕も『真夜中のカーボーイ』の時の、ベッドルームのシーンで同じ事をやられたよ」って言ったんだ。僕があのシーンを全部やったんだよ。
アレン:
でも今ソウルは、シークエンスをデザインしたって事でクレジットされてるよ。ジェニファー・バスが押し込んで、彼の本に載ってる。
パブロ:
それを聞けて嬉しいね。
インタビュア:
——あなたとエレーヌで、このオマージュを成し遂げた事について、ソウルはどういう風に考えるとおもいますか?
パブロ:
ソウルは、ただ笑うんじゃないかな。

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以上です。

以下は私の感想になります。

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エレーヌ・バス

ソウル・バスの仕事に、40年もの長い間、奥さんであるエレーヌ・バスが関わっていたとは…私ははじめて知りました。

途中、インタビューで2人が語っていたように、共同制作において、誰が、どの部分を担当したのか、有耶無耶になってしまうというか、誰か一人、声が大きい人の成果になってしまうという問題は多くありますよね。

本当のところは当時にかえらないと思い出せない事だし、結果的にいい作品になったものは尚更、これは僕の成果だよ、とは言い出しにくいものです。

ただ、エレーヌ・バスやジェニファー・バスのように、制作に奮闘する姿を見守り、「彼の仕事」と認めてくれるような理解者がいれば、気持ちは救われますし、その後に、あなたの仕事だった、という事実を取り返せるかもしれません。

制作中の姿を見せる事、共同制作をする人たちの姿を認めて、尊敬する事、与える事は、自分の作った作品を本当に愛するため、そして愛されるためのヒントですね。

私自身、こもって制作しがちなので、見習いたい姿勢だと思いました。

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