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3.「007」タイトル・シークエンス、中毒のレトリック 前編

タイトル・シークエンスデザイナーのインタビューを訳してみる、第三弾は「007:スカイフォール」についてのインタビューです。
原文( https://www.artofthetitle.com/title/skyfall/)で、タイトルの映像など、詳しく見られます。

デザイナーは、「ゴールデンアイ」、「カジノロワイヤル」など、「007」シリーズのタイトルを90年代からデザインしているダニエル・クラインマン。
彼は80年代から90年代初期、プリンスやマドンナのMVディレクターとして経歴を積んでいる、+一つのシリーズを長く担当している方ということで、これまでのデザイナーとはどこかプロセスが違ったら面白いなと思って訳してみました。

少し長めなので、前編と後編に分けて投稿します。
前編は、彼の今回の作品コンセプトと「デジャビュ」の活用、CGIでの製作についてになります。

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メインタイトル・デザイナーである ダニエル・クラインマンとのインタビュー

インタビュア:
——007シリーズのタイトル・シークエンスは、シリーズにとても大きな影響を及ぼしています。たいてい、そこで映画でのテーマや設定などを予告していますよね。007のタイトル・シークエンスに取り掛かるにあたって、何がスタート地点なのでしょうか。
脚本でしょうか?それとも、映画のワンシーン?

ダニエル:
僕にとってのスタート地点はいつも脚本だよ。大抵、撮影が始まる前か、少なくとも制作のかなり初期段階でプロセスに持ち込むんだ。
はじめに脚本を読んで、映画のメインテーマの感じを掴む。そしたら大体2、3のアイデアから始めて、自分の中で少しブレインストーミングしてから、リストを作る。
それでワクワクしながら、関連性を見つけて、スケッチに入る。その後映画のプロデューサーやディレクターと会って見せる。そうすることで、はっきりしたアイデアを映画の雰囲気から探し出して、タイトルシークエンスに必要な要素や情報に気付けたりするんだ。
その後、ラフ・スケッチと、映画のどこを引用したのかで、タイトルをどういう風にしていきたいか説明する。
映画の場面は、本当に最後の段階にいくまで見ないんだけど、タイトルシークエンスの前のシーンと、出口としてつながるシーンだけ特別に見るよ。前からと、後ろからのプロセスがあるんだ。

インタビュア:
——この映画の最初のシーンは、タイトル・シークエンスと継ぎ目なく続いてますよね。あなたの最初のコンセプト、それから監督であるサム・メンデスとの話し合いについて話してくれませんか?

ダニエル:
脚本の1ページから、実際のアクションシーンがどれくらい壮大なものになるのかを拾うのは難しいけど、この映画のオープニングが、緊張感があって、華麗なアクションシーンだってことは大体決まってるようなものだ。
それは「スカイフォール」も同じだった。
あのシーンは、ボンドが撃たれて—たぶん致命傷で—川へ落ちていく。脚本は、ボンドを沈んだまま放っておいて、そこでぼくがそのストーリーを回収する。これは雰囲気あるシークエンスへの転換として、絶好のチャンスだった。

タイトルシーンについては、サムと長いこと話しあったんだ。それでぼくの最初のドローイングは、女の手がボンドを沈ませてるものだった。
これは、ボンドが酷く傷を負っていて、彼を撃ったのは女、彼を撃てと命を下したのは女だっていうことを意味してる。あと、ボンドのキャラクターとしての脆さが、女の裏切りからもたらされたものだっていう事も若干示している。サムはすぐにこれを気に入って、さらにシークエンスを、ボンドがあの世を旅しているようなハデスへの旅のようにしたがった。それで、そのアイデアをもらったんだ。

サムと別れて、そのアイデアを練り上げた後、今度は重要なイメージと、サムの気に入ったアイデアをストーリーボードにして引っさげて、サムに見せに来た。
けど、彼はその物語の流れに、そんなに夢中にならなくて。彼は、もっと一人称視点で、POVショットで旅する感じにしなきゃいけないと思ってた。
はじめは、最初の勢いが100%愛されなかったことにちょっとがっかりしたけど、でも彼が何を言ってたのか、このストーリーの流れでどうしてそれが効いてくるのかが分かってきたんだ。
そうして、このタイトルムービーはある種の「走馬灯」体験みたいなものになった。
ボンドが彼自身を見つめ、彼の死の運命を見る、幽体離脱体験を暗示するような新しいビジュアルを作り出すことができたのは、このアイデアのおかげだよ。
鏡の間のシーンでは、ボンド視点のカメラは、彼自身の鏡像、さらにそれが撃たれる瞬間を捉えている。
きっと、彼の自身への疑いや、この映画での彼の「ネメシス」(ギリシャ神話において、人間の驕慢に対する罰を擬人化した女神)的側面を、ボンドのドッペルゲンガーとして言及できたんじゃないかな。「陽」に対する「陰」、007シリーズの暗い面、として。

インタビュア:
——アデルの曲は、あなたが取り掛かる前にもう書き上がっていたんですか?どういう風にして、音とビジュアルの融合が起こったんでしょう。

ダニエル:
最初のアイデアを思いついた時には、曲をまだ聴いてなかった。
映画の撮影を始めた後やなんかに時々パインウッド・スタジオに行ったんだけど、その時にサムがラフ状態のデモ・トラックを聞かせてくれたんだ。イメージをとじこめるのにも、漠然と歌詞とシンクロさせるのにも役立ったよ。
でも、最終段階の音を手に入れるまでにもかなり時間がかかったし、曲の編集にはもっと時間がかかった。5分間のものから、後ろの方の4分間になるまでカットしたんだよ。そのトラックはマル秘で、誰にも—チームの同僚にさえ—公開してないんだけど、音の調子も、雰囲気も、スピードも、最後の方になるまでずっと暗い感じだ。
完成版トラックと最終融合して、ビジュアルに合うように編集するのは、タイトルシークエンスの〆切のたった2、3週間前だったね。

墓地のシーン:VFX(ビジュアルエフェクト)のブレイクダウン

インタビュア:
——これは、今までやってきたものの中で、一番複雑なシークエンスだと思うのですが、制作過程はどのようなものでしたか?

ダニエル:
色んな意味でもっとも複雑なシークエンスなんだけども、別の意味で、僕にとっては作るのはもっとも簡単だった!
っていうのも、「ゴールデン・アイ」時代からかなり技術が進化したからね。イメージももっと速く作れられるようになったし、加工も変更も、微調整も修正も、デジタル編集機器自体がうんざりするくらいのろまだった昔では出来なかった事が出来る。
昔は、レンダリングに何日もかかるようだったのが数秒でなんて、しかもリアルタイムでフル解像度で見返して、音楽とシンクロさせてみるなんて難しくて、ありえない事だった。
昔の映像の階層みたいなのは今よりもシンプルなものだったかもしれないけど、プロセスは全然ユーザーフレンドリーじゃなかった。

はじめるにあたって、僕はストーリーボードを作って動かしてみるんだけど、今回はCGアニメーションもアイデアを検討するために使ったんだ。
はじめに必要な要素を撮って、家で自分の好きなように編集した。オフライン状態の感じでね。次に、ポストプロダクションをフレームストア社が始めて、シーンを仕上げて、エフェクトをかける。
そこに行って、彼らと何をどうするのか話し合ったり、ラフ状態のものが自分の理想にゆっくり近づいてくのを見に、定期的に通うんだ。
フレームストアのチームはとてもクリエイティブで、彼らに協力してもらって良かったな。
このポスプロは今回の制作で一番長いパートで、沢山色んなテクニックと段階を踏んだ、ほんとに高密度で骨が折れる仕事なんだ。
何日も、長い夜をチームの彼らと共にしたし、そのまま朝を迎えたり、土日を返上したりもしたな。

インタビュア:
——このタイトルの映像は、後々映画で登場する出来事や風景を取り入れて、観客にデジャビュを植え付けるように仕組まれていますね。これはある程度意図して行ったことなのか、それに、どのくらいこの効果を活用しようとしていたのでしょうか?

ダニエル:
デジャビュは、僕にとって結果的に嬉しい効果だね。まだ起こってない物語と場面や動きの予知を、暗示するよう適度に、映画のストーリーに関する要素を詰めこもうと努力してたから。
僕は、この効果は、単なる「既視」というよりも、印象的な予告として期待させる役割を果たしてると思う。僕は続く映画の、筋書き上のサプライズを和らげたくない。それに、映画をまだ観てない観客としては、イメージが何を意味しているのかあまり分からないわけだけど、具体的にってより、暗示としてある方が、心に引っ掛かりつつ、ネタバレせずに、次何が来るかもっていうヒントをあげられるよね。

それと、僕はリピートして観られるようなシークエンスを作りたいんだ。
何年にも渡って、沢山の人が繰り返しこの映画を観るわけで、もちろんマニアやファンなんかは映画の隅から隅まで解剖する。そこで2回目に観る時、風景がさらに切なく感動的で、大事だと捉えられたら素晴らしい事だと思う。「あーそういう事か」っていう瞬間が、最初に観る時の感じを混乱させたり損なわせない範囲で、いくつかあるのはいいと思うな。
僕は思うんだけど、こういう所、映画で関連したシーンが出て来る時とかが、デジャビュな味わいを生む、作品をどこか高める要素だと思う。
人間は、ストーリーを語られる前に、そのストーリーについて馴染みがあるとより楽しめるっていう研究を読んだんだけど、もしかしたらさりげないとこで、タイトルシークエンスもそういう働きをしてるのかも。

インタビュア:
——CGIはどのようにボンドシリーズのタイトル・シークエンスに影響したのでしょう?

ダニエル:
僕自身、CGIそれ自体にはあんまり興味ないんだ。過去の、ヒット作品やそうじゃない作品でも沢山使ってるから、驚かれるかもしれないけども。
でも、アイデアを練るために使うのは好き。アイデアとイメージから始めて、そこからさてどう作るかって取り掛かるんだけど、CGIは、人のイマジネーションの可能性を広げられる本当に強力なビジュアルツールだ。それに、もしかしたらこっちの方がもっと重要かもしれないけど、微調整ができる。
この中でも、—例えば、沈んでいく銃—これはCGI。実際の銃でも出来たんだけど—というか昔だったらきっとそうしたんだろうけど—これをCGIで作る事によって、色んなスピードでこの銃を落とせるし、ひねったり、返したり思いのまま、欲しいまま落下させられる。しかもエフェクトも、実写より大きい範囲でコントロール出来て、映画にあうような銃器の映像として固定出来る。
CGIに見えないようなものも実はCGIで、こういう感じに、ミクロレベルにイメージを修正する事で作られるんだ。
繰り返しになっちゃうけど昔のCGIはノロマで、高くて。同時に、CGIでやりたいって熱くなる以前に、かなり大雑把だったんだ。やっと今は使えるようなものになったね。

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前編は以上です。

MV製作に携わっていたから、なのかはわかりませんが、物語外の物語-ボンドを摘んで沈ませる女、ドッペルゲンガーの銃撃戦など、作品の抽象的なコンセプトを美しいイメージにする彼の想像力のつながりは素晴らしいなあと、私なんかは思いました。

さらに、ぐっときたところは、繰り返し観られる、愛されるための工夫として、ストーリーに寄り添ったデジャビュを使うけれども、単なる「既視」は与えないところ。

明快なものより、隠されたものの方が繰り返し何回も観たくなる、といった心の動きを刺激するように、このタイトルが作られているなら...何回も見てしまっている人は思う壺ですね!

後編は、モーリス・ビンダー時代からの、007シリーズの記号的アイコンを彼がどのように扱っているのか...観客が期待する「お約束」とどう付き合うかに着目したインタビューです。

*これらの訳は私なりの意訳になりますので、色々変なところがあるかもしれません。それにこのインタビューに関しては、元のダニエル・クラインマンの言い回しが詩的で面白い、と思ったので、時間がある方は原文を読むのをお勧めします。こんな風に豊かに英語が使えるといいなあ。


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