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芹沢怜司の怪談蔵書「8.壁の中から」

「決めました。引っ越します!」

 知人は話を聞いてすぐ本を引っ張り出して町の場所を調べた。怪談好きの琴線に触れたのだろう、あの異様な雰囲気の町に住んだら思う存分怪異を堪能できると興奮している。

「まずは下見ですかね。ついでに怪談の調査もしましょうか。そういえば海から招く手に出てきたホテルもあそこでしたっけ」
「住宅街や商店街からはかなり離れているけど同じ県だよ。……まさかホテル跡地にも行くのかい?」
「いやいや! まだ死にたくありませんから行きませんよ。少なくとも怜司さんの最期を見届けるまでは死ねません」
「証人がいないから本当に死んでしまうのかはわからないけどね」

 あの本に掲載されている怪談話は事実なのか――実際にやってみた人がいないものを調査するのは骨が折れる。怪談に対しては安全第一主義の私が珍しく怪異に触れている理由は証明者がいないのと……好奇心だな。

「どっちに転ぶかわからない……ほんとワクワクしますよ」
「まったく……人の生き死にがかかっているというのに。それだから友達ができないんだよ」
「いなくてけっこう! 僕には怪談さえあればいいんです。むしろ幽霊が友達ですよ。踏み込めば構いに来てくれるので」
「おや、私は友達ではないのかい?」
「僕の中で怜司さんは友達じゃなくて大先輩て立ち位置ですね。それよりも引っ越し予定の町の怪談、まだありますよね。調査に行きますよ。何か信憑性がありそうな話ありません?」
「そうだな……じゃあこれを調査してもらおうか。比較的安全なはずだよ」

【壁の中から】

 わたしが住む県は怪異が多いみたいです。生まれた時からずっと住んでいるから気にしたことはありませんでしたが、県外の人たちからすると異常なほど幽霊が跋扈しているそうです。

 その中でも特に怪異が多い町……まあ、私が住んでいる町なんですけど、最近新たな現象が見つかりました。

 築五十年の古いアパートです。ここは特に怪奇現象は確認されていませんでした。しかし入居したばかりの学生から相談が寄せられたのです。

「壁の中から声がする」と。

 実は件のアパートは私が管理人をしていまして、今回相談された内容はとても驚きました。今まで怪異の一つも起きてませんからね。

 学生が借りている部屋に入った瞬間、どこからともなく声が聴こえてきました。「あー」とか「うー」とか言葉にもなっていないものばかりで、意思の疎通はできそうにないと判断しました。

 私も学生も慣れたもので、これをどうするか話し合いを始めました。怪異に慣れているとはいえこのままでは眠れませんからね。私たちは最初に前の入居者の話を聞くことにしました。

 しかし連絡がつきませんでした。

 いきなり行き詰まってどうしようかなと思案していたら、ふと、もう一度部屋に行こうと思ったのです。これは完全に勘でした。

 部屋の中から聴こえる声……その声に聞き覚えがありました。

 前の入居者です。

 しかし彼は退去日に笑顔でアパートを後にしました。

 では中にいるのは誰なのか? 退去日に見送ったあの人は本物だったのか?

 疑問は尽きません。

 申し訳なかったけどあの部屋は封鎖することにしました。学生には別のアパートを紹介して謝罪しました。

 今も声は聴こえてきます。私に解決する能力はありません。あの部屋は永遠に封鎖されるかもしれません。

 

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