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「ROMA」について、後輩二人へ答える!

【YNへ】

昨日はありがとう!

 ちょっと気になったのは「ROMAの良さがわからなかった」というYN君の発言でした。「ROMA」のような、淡々と長回しの映画はあまり好かれない傾向にあります。そういう映画を「良い」と言わないと「通」と思われない、という感じもありますので、モゴモゴと「悪くなかったよ。」と言って誤魔化してしまうこともありますよが、わからなかったら、「どこがいいのかわからなかった。」とはっきり言おう!
 私は「ROMA」がとてもよかったので、どこがいいと思ったか、下記に書きます。機会あったらこの観点から、また見てみてくれると嬉しいです。

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 基本的に、「ROMA」は自伝で、子供の頃の記憶が語られています。なので、起承転結が精巧に組み立てられているということではなく、どこか脈絡なく「あんなこともあった、こんなこともあった。」とエッセイ風に過ぎていきます。

 まずは、あの中庭と吹き抜けがある大きなお家の感じ、幾何学模様のタイルの床から階段があって、回廊式のような二階に並ぶ子供部屋。毎日大きな車を無理矢理駐車する狭い入り口。あと、あの大きな犬と大きな糞。あの家をロケで見つけてきた所で、映画は半分できたのではないかと思うくらい、良い感じでした。幾何学模様のタイルのオープンロールが終わって、映画が始まってくると、しかしながらちょっとおや? と思いました。車が入って来た時子供たちは「パパが帰ってきた! ママ、パパが帰ってきたんだよ!」と大げさに喜んでいるし、また出て行こうとするパパをママが引き止めるように強引にキスをするので、「もしかして、夫婦仲が上手く行ってないのかな?」と感じました。早速、家の中がどこか落ち着かなく、そこはかとなく不安が満ちていると感じた次第です。
 
    物語の大きな筋は、やはりクレオの妊娠です。キュアロンのテーマは、「喪失からの再生」で、「子宮から誕生する」ということに拘っています。クレオが、メキシコシティの動乱の時に再会した彼に銃を向けられ、そして破水し、流産します。その時、クレオは深い喪失感を抱き、鬱病にかかったような顔つきになりますが、いよいよパパが出て行って、ママが家族の再出発の旅行を企画した海辺。子供二人が沖で溺れかけた時に、全く泳げないはずのクレオが海の中を、波ももろともせず、ずんずん、ずんずん、歩いていって助けようとするシーンが素晴らしい。映画史に残る横移動です。この映画は横移動がテーマでいろんな所で出てきますが、これが集大成。安易にすぐ上に向かって開放するのではなく、じーとじーっとひたすら横移動して、最後に結果がでます。ママと二人も駆けつけ、家族で海辺で塊になって無事を喜びます。それがポスターのシーンですね。あのシーンも、大きく声を出して喜んだり、泣いたりするような大きなカタルシスではなく、「ホントによかったねよかったね」とぎゅーっと抱き合い、安堵と喜びを噛みしめる、みたいな感じになっています。
 
    子供を助けたことで、クレオは精神的に救済されます。失った自分の子供が、主人の子供たちの命となって再生したような気になります。最後は、ずうっと続いた薄曇りがパッと晴れたような天気になり、映画の雰囲気もそう変わって、爽やかに終わります。最後はまた、あの家の幾何学模様の床のタイル。パパはいないけど、それ以外は変わらない子供時代がずっと続くという、幸福な反復の予感です。

   「ROMA」は私はそういう風に見ました。なかなかはっきりとしたカタルシスがないのですが、映画の奥底のうごめき(蠕動)みたいなものを感じ、淡々としながらも奥深いエモーションを感じた次第です。他にも、いい所沢山あったように感じましたが、(新年の別荘での火事、クレオの彼氏の集団訓練場、所々突然現れるパパ、メキシコシティの目抜き通りの横移動などなど)また、お話ししましょう。

ではね!


【HSへ】

HSちゃん、ROMA、見てくれてありがとう! そして、YN君宛ての私の拙い文章もN君も読んでくれたみたいでありがとう!

 書ききれなかったことを少しだけ追加すると、撮影がとにかく素晴らしい。通常よりも横長のサイズで撮られていて(シネマスコープ)、沢山の光量で撮って隅々までピントを合わせている(被写体深度を深くしている)ため、手前の人物の奥に広がる遠景まではっきり見えている。クレオが彼氏を探して、町はずれの広場に行くところは、クレオが水たまりを渡る遠くのほうに、もう武術練習の人々が「エイ!オー!」やってるのが見えている。むちゃくちゃシャープでクリアな撮影で、「美しいいいい!」としか言いようのないモノクロ。同じモノクロでも「サタンタンゴ」は真っ黒い。光量の少ない中でも細かい皺やディテールを明瞭に撮ろうとしていて、重く濃密なモノクロとなっている。全然違うものだな、と、ビックリする・・・。

 あと、HSちゃんが言ってたポイントの話をするね。
 一つは、新年の別荘。あそこ、良くなかった? みんなで猟銃打ったりするでしょう? ママが、近しい男性に言い寄られて驚き、きっぱり断るけど、その後火事! あれはもう、ママの不安と焦燥が具現化したような大燃焼だよね。 「お安く見られた怒り」と、「パパが好きだけど、こんな思いをするくらいなら離婚すべきか」と悩んでいる気持ちの大きな揺れ。それがこちらにも伝わるような火事だった。確かその後家に帰ってきて離婚を決心したよね。

 それから、これはむしろ「ゼロ・グラビティ」の話で、YN君にも話したいんだけど宇宙空間の遥か向こうに飛んで行ってしまったはずのマット(ジョージ・クルーニー)が、宇宙船に戻ってくるでしょう?船窓を開けて、何事もなかったかのようにすっと入ってきて、「よっ!」ってな感じだけどあの不思議さが、すごく衝撃的だった。夢なのか、現実なのかわからず、「キュアロン監督、変なことする人だなー、でも、すごくいい。ここが一番いいかも。」と思った次第だが、「ROMA」見てて、「あれって、これか!」と発見したよ!パパだよ、パパ! クレオが一度、街で愛人といるパパに出くわすでしょう。カナダにいるはずのパパ(宇宙空間に飛んで行ったはずのマット)がぬっとそこに居る驚き。これだ! そして、その後、ご丁寧にもう一回ある。クレオが破水して病院に連れ込まれる時、なんとカメラにパパがいきなりスッとはいってくる! 医者だからそこにいておかしくはないんだけど、離婚して出て一家の世界の外(物語の外)に放逐されたはずのパパが、何の前触れもなく入ってくる驚き! 私は、映画館で目をこすって、身を乗りだしてパパかどうか、確認しちゃったよ。(笑) 離婚してパパが出て行ったことが、子供のキュアロンには相当衝撃だったんだね。そして、ROMAの中のように、パパが「現れるはずがないのに当然のようにスッと入ってくる」って体験をしたんだと思う。いやー、これはすごい面白かった。

 そう言えば、「実は産みたくなかった」というクレオのセリフでホッとして、救済されたような気持ちになった、と言ってたよね。いったんそう思うんだけど、私はこのセリフは「本当に本当?」って思っちゃったんだよね。彼氏(フェルミン)に逃げちゃった後は、いろんな重圧(シングルマザーになったらどうするか、そもそも解雇されたらどうするか)に苛まれてたと思う。だから、子供も自分も不幸になるなら産みたくない、という気持ちはベースにあったのは間違いない。けれど、彼女のとっても良い子そうな丸くて柔和な表情(仏様のような)を見ていると、お腹の子が愛おしい、産みたい、という気持ちはかなり強かったのではないかと思うんだけど、どうかな? さらにその人柄から、流産して周りに気を遣わせていることも申し訳ないと思っていたのでは? よってあのセリフは、「自分に言い聞かせる」「自分を納得させる」プラス「周りを安心させる」ための「無意識の自己欺瞞」なんじゃないか、と思えて来たんだよね。映画見終わって渋谷駅に向かう道すがら、スクランブル交差点の信号待ちでそんな風にひらめいたんだけど・・・(笑)。そして、あれをあのシーンで言う! 映画全体を〆るタイミングのセリフだよね。
 それと、HSちゃんの指摘で鋭かったのは、「銃を向けられたから死産した」と言ってたよね。HSちゃんの言ってるのは、彼氏(フェルミン)はクレオに銃口を向けてお腹の中の子を撃ち殺したということね!実際に、ということではなく、映画の中の行為の象徴的な意味として・・・。なるほど、なるほど・・・。

てな事で、また映画のことで話したいね。

ではでは。

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