耐えうる時間
澁澤ドラッカー研究会主催『生き延びるためのドラッカー入門』(夜間全10回講座)がとてもいい。いつもならばまず参加は無理とあきらめていたはずだろう。偶然の初回1回だけ、が3回目まで叶っている。家族が近すぎる毎日の環境の中、夜のルーティンワークの時間に哲人に触れ溺れる時間、もはや背徳感なる甘美の成せる業なのか?笑 説明はつかないが、夫、3人の子どもたちの協力あって成立している事は間違いなく、有難い時間です。
そして、3回目の夜に得たこと。
困難な状況やハプニングに対して「楽しみます。」こんな感じが私の表現の十八番だが、最近詰まっていた。かといって他の言葉を選べないでいるが、今みたいに世間も相対的に困難な時期にはちょっとね、立ち止まる。そういえば昔もあった。「気に入ってる」という言葉を気に入って使っていた。当時彼だった夫から、君らしい生意気な言葉だとからかわれても笑っていたが、急に経営の世界に入ることになると、状況の中の私の実力では幼すぎる言葉、と誰に言われずとも途端に私がそう感じ詰まった。過ぎてしまうと気にならなくなったが、その時点では言葉、服装、振る舞いなど急に表現を抑圧されたような窮屈とともに、不可逆な流れに静かな興奮を感じる感覚があったと思い出した。
zoomの向こうの井坂康志さんが、幸福、幸せに対してendurableと表現した。えんでゅあらぼー、耐えられるという意らしい。この表現が私の今に、ああこの感じだと癒される。耐えうる今には感謝と次の勇気が似合う。最悪でない安心、悪くない機会、変化の痛みや憂いも包括しながら前に目がむいてきます。
大きな混乱の時は組織内外にも多くのメッセージや応援を発するが、まずは私自身がしっくり励まさせる言葉を持つこと、大事なのだなぁとあらためて感じた夜です。
ところで、井坂康志さんの声には不思議な力があると感じる。前回も100名を越す参加者だが、画面越しの皆さんの顔がとてもリラックスしていて、井坂さんが時々投稿される愛猫と被る。そんな私も、クッションや毛布を抱えながら心地よい声に耳を澄まし、時々我が家の子猫ちゃん達の毛繕いをしながら聴いている。こんなにオンラインのメリットを受け取れる時間も珍しいな。「知の温泉」に納得です。
その晩は心地よいまま、夜更かしした末猫と干していた小夏の皮をお風呂に浮かべて浸かった。末猫が小夏風呂のお湯をかき混ぜながら言う。「ママ、ゆっくりぐるぐるするんだよ。そしたらすっごくおいしいみかんスープができるのよ、まっててねー。」
耐えうる今の悪くない時間。