反骨精神

「血縁」「家族」という言葉が嫌いになってしまった。
実体験で、私にとっては他人だ。
都合いい世間体を得ている言葉で縛るもの、というイメージがある。

「嫌いになってしまった」というとおり、
「好きでいたかった」気持ちがある。

私はキレイごとな話が好きだ。家族物のストーリーも好きだ。
矛盾しているけれど、
「信じたい者」を信じて救われた話が好きだ。
都合いい「家族だから」っていう言葉は好きじゃない、みたいな。
大体、世間体の「言葉」は「縛りたい人が使うもの」というイメージがある。


「物体的な繋がり」は誰かの「正義」の一部なこともわかる。
生物的に、物質的に「そう」で、変えることはできない。
「そう」を大切にすることも、信じることも美しい。
間違いなく「そう」で否定できない。
心から美しく思うけれど、心から「他人」だと思う。

お互いにそうであって、私は幸せだと思う。
私は私のことだけを考えているだけでいい。
「介護」や「遺産」重い未来の荷物へ夢想したり幻滅したりすることがない。

とても気楽で自由だ。
でも「普通」ではないな、とどこかで思う。

「普通」を求めるようになってしまったのは
歳をとってしまったからなのか。

20代の頃の反骨精神を思い出したい。
幸せになってやる。楽しく生きてやる。
それが、復讐なのかもしれない。


10歳で亡くなってしまった母。
私は、幸せに楽しく生きる。
お願いだから、それで許して欲しい。




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