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「何もしない」間に行われている、身体の内側の動きを感じてみる


きのうの「眠たいのに、眠れない」を今日に持ち越してしまったので、これは今日の宿題になったわけですが。

眠たいのに眠らないのは、「それよりもっとしなければならないことがある」と思っているから。「ここを抜け出すために、何かしないと、私はずっとこのままだ」と思っていたことに気付いたというお話。

で、それ、なんで?というのが今日の宿題。


「ここってどこよ?」「ずっとこのままじゃだめなのか?」ってところがツッコミどころなんだけども、それは単にかんちがいだということが分かった。今はずっと続くわけではない。

ずーっとずーっと子育てしてるから(ここ3年くらい)、一生こどものことだけで自分のことはおいてけぼりになっちゃうような気がして焦っちゃうときもある。そうなると「なんとかせねば!」と立ち上がりたくなる気持ちが発動するんだけど、24時間はるくんにべったりな日々も、あと少し。4月からは少し離れる時間もできるし、あと1年もすれば昼間は別々の生活になる。

状況の打開は、なにも「何かする」ことだけで起きるわけじゃなかった。「時間に身を任せる」だけで起きることもある。だから安心して今このままでいればいい。なんなら絶対に変化してしまうんだから、今のうちにめいっぱい味わっておこう。

目的もなく近所をふらふらと歩き続けたり
(はるくんに目的はある。お目当ての置物にどんぐりをあげたりとか)
ひとつのポイントにつかまって動けなくなったり
(今日は高さ2mくらいの丘を指差して「ふじさんだねー、のぼってみる!」と即登頂・即下山をくりかえしていた)。
とにかく時間だけはたっぷりかかるんだ。

かんたんにまとめちゃうと私のすることはただ「見ている」とか「待つ」だけ。でもきっと、こんなにじっくりひとりの子の動きをただ見ていたり、わけのわかんない言葉を聞いたり、ただ待つだなんて、もうしない。はるくんと一緒じゃないと、とてもできない。

後から振り返れば今している「ただ待つ」は「あんなこともしてた」「こんなこともあった」とひとつひとつちがって、ひとつひとつが特別な「していたこと」になるんだろう。


こんなに書いておいてなんなんだけど、本題はここから。

眠ることについて「それより」と思ってしまう。「それよりもっと大事なことがある」と思っているということだ。ということは、反対に言うと、眠ることはそれほど大事なことではないと思っているということ。だから「眠るは損」って思っちゃうわけで。


2日前くらいから花粉症の症状がひどい。目・鼻・のどをしたたかにやられている。椅子に座って、動きを止めて、目をつむって。「何もしない」をあえてして、ただじーっと感じてみると、それまでかゆかったり痛かったり不快に感じていた部分の感触が変わってくるのに気付く。目の少し奥で、鼻の少し奥で、のどの奥で何かが勢いよく流れているような。じんじんする。そしてそのじんじんが、少しここちよかったりもする。身体の動きを止めると、身体の内側がこんなにも動いていることを感じる。

そうだった。エネルギーを使うのは、何も動いている時だけじゃない。身体の内側はいつも動いていて、そちらにもエネルギーは使われている。今はやってきた花粉に対応しようと、いつもより更にエネルギーを使っているはず。

きのうの「眠たい眠たい」もそうだ。これは生理前のいつもの症状。身体が生理を起こそうと準備をしている期間。これもエネルギーが必要なはず。妊娠中もそうだった。眠くて眠くてしょうがなかった。そりゃそうだ。身体のなかで人間ひとりつくっていたのだもの。


となると、眠たくなるのは「身体の内側の活動が活発になって、エネルギーがたくさん必要な状態」なのかもしれない。必要な分を確保するために、眠たくして、外側の動きを抑えようとしているのかも。うん、それなら納得だ。協力しようじゃないか、という気になってくる。


身体の内側の動きというのは、目に見えない。そして意識もしづらい。自分で指令を出して行われるわけじゃないしね。ぜーんぶ自動的にやってくれるというのはありがたいことです。心臓動かすのにも呼吸するのにも消化するのにも、いちいち指令がいるようじゃ、他のこと何にもできないよ。そしてうっかり「忘れてた!」なんてことしたら大変なことになる(私はきっとやる)。

そう、意識してないし、自分で決めてやっているわけじゃないから、「していること」としてカウントできないんだね。どうしたって、目に見えて変わるもの・積み重ねるものを求めてしまう。それだって確かに大切だけれども、その動きを止めてまで、優先してやるべき「身体側からの事情」だってあるんだ。そして広く大きく見てみれば、そっちのほうが全然大事。「生きていく」に関わることだから。


「たいせつなことは、目に見えない」
よく聞くフレーズで、よく聞きすぎるからこそなんだか胡散臭く感じてしまっていた言葉なんだけれど、本当だな。目に見えないことのほうが大切なこと、たくさんある。目に見えないくらい当たり前なことって、生きていくに絶対必要なことだったり、今をつくるものだったりする。

「眠れない」「何もしない」ができないのは、その間に行われる内側の動き・働きがあることを信用してないからだったんだなぁ。眠っている間にもこの身体を維持するために動いていたり、修復していたり、休むことなく動いている。よりよく生きられるように。

「何かしなくちゃ」と気が焦るときは、かえってすべての動きを止めて。身体の内側の動きを感じてみる。大丈夫。これだけたくさんの動きがある。私は十分に動いている。そのことを思い出せばいい。

そうしたら、眠気を抑えてまでしなきゃいけないことなんて、そうないことに気付くから。

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