素直になれなかったクリスマス

私は物心ついた頃からサンタクロースはおらず、親が直接欲しいものをプレゼントしてくれる家庭で育った。そのため、クリスマスといえば「誕生日以外のプレゼントがもらえる日」みたいな認識で、サンタクロースを信じている子を若干バカにしていたような、嫌な子どもだった。

そんなクリスマスだか、毎年個人的に苦い思い出が蘇る日でもある。いわゆる黒歴史というやつ。

それは、「親から直接プレゼントを渡されることが照れくさくて、素直に喜べなかったこと」だ。

「え?しょうもな」と思うのもわかる。けど、毎年思い出しては悲しくなるほど、棘のように心に刺さってなかなか忘れられない記憶だ。

今となっては多感な年頃としか言えないが、プレゼントを手渡されてもそっけなく「ありがとう」としか言えなかった。ニヤニヤするのを抑え、わざわざ真顔を貫く徹底ぶり。その度親に「うちの子はあんまり喜ばないなぁ」なんてがっかりされた記憶がある。

今、大人になり、親になってみると、どうしてもこの記憶が切ない。なんでやねん、素直に喜べよ。

本当は嬉しいのを照れ隠していることも、両親にはお見通しだったかもしれない。
それでも、両親は私の喜ぶ顔が見たかっただろうなぁ、なんで思うのだ。

サンタクロースを信じさせてくれなかったことに対して特に不満はない。けど、自分が子供のころバカにしていたサンタクロースを信じている子は、あまりにもクリスマスを楽しんでいるように見えて、眩しかった。

これも大人になって気付いたことだが、私はサンタクロースを信じたかったのかもしれない。サンタクロースを信じられる環境なら…素直に喜べたのか?

しかし、サンタクロースを信じられたからといって、私は特に変わらなかっただろうな、とも言い切れる。なぜなら私は昔から、周りの目が気になって全力でイベントを楽しめない人間だから。

大人になり、親になり思うのは、「子どもが本気で嫌がらない限りは全力でイベントを楽しみたい」ということ。これは願望であり、目標だ。そのため、子が生まれて初めてのクリスマスの演出はかなり気合が入っていた。

一般的にクリスマスパーティをするのって、イブの夜な気がするけど、夫の仕事の関係で我が家のクリスマス本番は25日。

夫と子が眠ったあと、いそいそと2人へのプレゼントをツリーの下に置いてニヤニヤ。明日が楽しみだなぁ〜と眠って、3時間半。朝4時に子が起床。

「うそやん、真っ暗やねんけど…」となりつつ、とりあえずミルクをあげて、オムツを変えて。
いつもならこれですぐ寝てくれるけど、今日はめちゃくちゃ覚醒してた。なんで…?もしかしてプレゼント待機してた??

仕方ないのでリビングへ行き、ツリーの下へ。「あれ?これ、サンタさんからじゃない…?」とか白々しい演技をしてプレゼントを手渡してみると、なんか嬉しそう。

なにがなんだかわかってなさそうながら、ニヤっと笑う我が子を見て、私までニヤニヤ。

あぁ〜この顔が見たかった。と思った。

音楽が好きな子に、お歌がなるピアノのおもちゃをプレゼント。しかし、まだ早かったようでピアノをひいたりお歌を鳴らしたりするのは難しく、バンバン叩いたり口に入れたりして楽しんでいた。


子がささやかに喜ぶ姿を見て、苦い思い出が緩和されたように感じた。来年、再来年には「サンタさんだ!」と大袈裟なくらい喜んでくれるのかな。

きっと私も記憶にないだけで、小さい頃は大喜びしていたんだろう。子も、もっと大きくなったら、私のようにこの子も素直に感情が出せない日が来るかもしれない。けど、それも成長なんだろうな。

その後、プレゼントのピアノは投げ捨てられ、放置されています。まっそんなもんだよな。


おしまい

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