親の幸せのために生きているわけじゃないじゃない。
社会人になっての帰省で感じたことと、今の心境。
帰省から戻った今の心境
母の作ったカレーを口にしながら、この文章を打っている。東京で働き始めて2回目の実家への帰省から、丁度戻ったところである。
私の職場の上司は首都圏出身の人で、「地方に帰るところがあるっていうのはいいよなぁ」とたまに溢すが、東京から地元の田舎へ帰るというのは、そんなにすごく心地良いことというわけではない。
それは、身の回りの人の老いを感じるからとか、地元の街が廃れてきているのを感じるからとか、そういうわけではない。よくある、両親に孫の出生をしきりに迫られるからというわけでもない。
ただ、地元を去って都会で働くビジネスウーマンになったことに、どことなく後ろめたさを感じているからだ。
親の希望に背く後ろめたさ
私は、進路を選ぶ時に母親から資格が取れるような学部の選択を暗に勧められたことをよく覚えているし、学生の時に第一志望であった東京の会社の内々定をもらったことを報告した際に、両親が別に喜んではいなかったことを忘れてはいない。その過去を恨みがましく思っているわけではもちろんないが、やはり親の希望に背いて選択し行動している後ろめたさというのは、いつも感じながら生きてきたような気がしている。
そういう心の内にある蟠りのようなものを、身近に感じざるを得ないのが、帰省時なのだ。
かといって、帰省している時に両親があからさまに地元に帰ってきて欲しい感を出すわけではないし、東京への帰り際に泣いて悲しまれるわけでもない。今、私が東京で順調に社会人として生活できていることを喜んでくれているのも分かるし、私の働く会社が良い場所であることを、認めて、安心してくれているのだとも思う。
ただ、なんだろう。私が離れた場所でパートナーを作って、結婚して子育てをして生きていくのか。永遠に地元に戻って生活することはないのか。両親がそんなことを気に掛けていであろうことを、どうしても感じ取ってしまうことがあるのだ。
誰も誰かを悲しませたいわけじゃない
だからこそ、なんとなく辛いのだろう。生活圏と地元が違うというのは、後ろめたさや罪悪感のようなものを無視できなくなるから、手放しに安らげる場所だと思うわけにはいかない。もちろん居心地が悪いわけではないが、良いわけでもない。実家がそんな場所になっていくのは、理由は違えど多くの人が抱える悩みなのかもしれない。
親の意向が自分と違うことを感じる。自分の希望が親の希望に添えない、後ろめたさを感じる。そんな消化しようのない気持ちが、溜まっていくのを感じる。
もちろん私だって、親を悲しませたくて今までの選択を決めてきたわけではないし、親だって私を悲しませないように、最大限の配慮をしてきてくれたのだと思う。
親の想いと自分の選択
それが分かるから、やっぱり、辛いのだろう。私は、「親が子供のやりたいことを応援しないわけがない」と、傲慢にも思っている。「親を悲しませないように配慮して自分が悲しんだら意味がない」と、いつも自分に言い聞かせながら人生の選択をしてきている。更には、「その選択を親が否定できるわけがない」と、親心を分かったような気持ちを盾に、自分を納得させるようにしている。
そんな自分勝手な子供でも幸せを願わずにいられない、そのどうしようもない親心が、辛いのだと思う。無償の親心というのは、やっぱり辛い。
思い通りには育ってこなかった、期待通りには生きてこなかった私のことを、受け入れて肯定しようとしてくれているのを感じるからだ。悲しんでなどいないふりをして、愛情を精一杯に表現してくれて、それを当たり前のような顔で、私が受け取る。その結果残っているのが、自分の中に蓄積されていく後ろめたさなのかもしれないし、今胃の中でじんわりと温まっている、カレーなのかもしれない。
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