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【展覧会レポ】 内藤礼「生まれておいで 生きておいで」について考えたこと

第一会場

狭い通路を抜けると、正面に明かりが見えた。部屋は薄暗くて、ショーケースだけが光っていた。下方にはベンチが見えた。来訪者がゆっくりと鑑賞するために、この部屋に元から設置されてあったものであろう。順路の矢印は見当たらなかった。僕は、入って右手から鑑賞することにした。右の壁には、明かりのないガラスのようなものが置かれていた。覗き込んでみたが、何も確認できなかった。きっと、明かりがついてないショーケースだろう。暗闇の向こうでは、僕が反射して映っていた。

入ってきたとき、ショーケースの中は空のように見えたが、近づくと何かが置かれていた。縄文時代のものであろうか、茶色の物体が広々とした空間にポツンと佇んでいた。木があった。石があった。中に?いや、外に。なぜ中ではなくて外なのだろう?わからなかった。ショーケースの側で、天井から白い球体が吊るされていた。

部屋の左側に視点を向けると、天井から赤、緑、黄色、水色、ピンク...様々な色の球体が高さをまばらに吊り下がっていた。その光景は夜空に浮かぶ星々を想起させた。

奥へ進むと、2つの風船が目に入った。色も、大きさも、高さも同じだ。無作為に物体が散らばっている空間の中で、同じものがあることに違和感を感じた。横に長い形をしている部屋には、大きいショーケースが2つあった。そのうちの2つ目を見た途端、僕はこう思った。


あ、左右対象だ。


なぜなら、2つ目のケースには、1つ目の最後で見たばかりの紙の上に鏡が置いてある何かが置かれていたからだ。僕は調子に乗って少し早足でケースを見ていった。最初は木と石からはじまったので、当然終わりも木と石なはずであった。しかし、そこには木しかなかった。


あれ、左右対象じゃない。


左右対称かどうかを確かめるために、真ん中を示す2つの風船の中心に立って右と左で球体を見比べることにした。すると、その色や配置は異なっていた。同じではなかったし、左右対称ではなかった。全部僕の思い込みだった。


最初に見た第一会場は、本館から少し離れた平成館という場所にある。今回の展示は作者の推奨で1→2→3と見た後、もう一度1→2→3と順に回ることになっていた。そこで、第二会場に向かって歩くことにした。


第二会場

さっきと一変して、部屋は明るくて広い。正方形で天井も高い。順路は示されていなかったので、入口があった左手前側から見ることにした。

壁にA4用紙ほどの大きさの白い紙が貼ってあった。近づいて、よく見て気づいた。


あれ、白紙じゃない。


そこには、筆に水をたくさん含ませて色を塗ったときのような薄い赤や緑が描かれていた。

紙は横一列に数枚続いていた。右隣の紙を見ると、塗られている面積が増えたように感じた。


これは、作品ができ上がる過程を示したものだ。


そう思って3枚目、4枚目を見て行った。


いや、違う。全て違う作品だ。



じゃあ、これらは一体なんだ?



空中には、第一会場で見た球体が吊るされていた。正面の壁には、銀色の剥がれかけのテープが真ん中より左と右にそれぞれ貼ってあった。

右側の壁には、さっきよりも一回り大きい紙が貼ってあった。さっきよりも、色が増えていた。森だろうか、水中にも、草原にも見える。何枚か紙が並んで、最後は最初に比べて色が少なくなっていた。

壁には紙とテープが貼られていたが、床の部分には木の箱の上にガラスケースを置いたものが点々と置かれていた。ケースの中には縄文時代に作られたような四足の動物の焼き物や石、ケースの上には木、石、枝、紙、糸などがそれぞれ置かれていた。

会場の真ん中に立って辺りを見渡した。ふと、紙が貼ってあった壁を見た。


あ、均等に配置されていない。


美術館に作品を掲示するときは均等に並べるものだと思い込んでいた。近づいているときは、目の前のものしか見えずに全体を見通すことは難しい。僕は、学習したものの見方で世界を見ていたんだ。

僕がずっと展示物に感じていた苛立ちと違和感を言葉にすると、


どこが中心? どう見るのが正解?


である。でも、この地球に中心などないし、生き方に正解もないだろう。僕は僕自信を納得させるような答えを欲しがっていた。生きる意味を、死ぬ意味を知りたがっていた。そんなものは誰にもわからないし、知らないというのに。



第三会場

狭くて明るい長方形の空間に、木が置かれていた。その上に逆さにした瓶、そしてその上に瓶。

他にも何かあるかもしれないと思い、四方の壁を見て回った。よく見ないとわからないくらい小さい鏡が4つあった。2つずつのペアで合わせ鏡になっていた。


え、第三会場なのにこれだけ?


僕は驚きを隠せなかった。第一会場、第二会場と個々の物体だけを見せられて色々考えてきたわけだから、第三会場ではそれらが線で結ばれて今までの展示物の理由を解き明かしてくれる何かがあると期待していたからだ。

作者は、何も言ってくれなかった。そういえば、この展示に作者の説明文や作品名のパネル、なんなら文字すら存在しなかった。


答えは自分の中にある


そういうことが言いたいのかもしれない。今回の展示名は「生きておいで 生まれておいで」だ。このテーマだというのに、僕はまだ生も死も感じられてなかった。何も解決していないまま、再び第一会場に向かって歩いた。



歩いた。



歩いた。



次の会場までの間、全く関係のない常設の展示物が視界に入ってくる。



僕はまた、忘れていく。



関係ない?



作者はなぜ、歩かせるのか。



ああ、そうか。



生きるとは、全てだ。



生きるとは、営み全てだ。



関係ないように思えた常設展も、作品の一部だ。



展示室が近づいてくる。



そして、思い出す。



第一会場

ベンチも、明かりのついてないガラスケースだと思ったものも、元からあったのではなく作者が取り付けたものだった。

ガラスケースの側に球体が吊るされていて、それが反射していたのではなかった。実際にガラスケースの中にもう1つ球体が存在していた。

第三会場にあった鏡が、入ってすぐのところにあった。反対側にもあった。合わせ鏡になっていた。

2つの風船は、2つで1つの作品だった。 



第二会場

部屋は、前より少し暗くなっていた。



第三会場

やっぱり、わからなかった。




会場を出ようとすると、係の方が親切に次の行き先と行き方を教えてくれる。でも、僕はいつかそれを裏切らなければならない。いつか、終わらせなければならない。もしくは、美術館が閉まる時間になったら、強制的に終わらせられる。



僕はまた、繰り返す。



生きるとは、繰り返していくことだ。



少しずつ、移り変わっていく。



ただ、あなたが気づかないだけで。



でも、いつかその繰り返しは終わる。



リュックはロッカーにしまうか、前にしてご覧ください。そう言われた。



そうか、荷物なんていらないんだ。

そこに、幸せなどないんだ。

幸せは過去ではない。

今、目の前に溢れている、

それら全てなんだ。



都市に、木はあるか。石はあるか。

街路樹がある。コンクリートがある。


それは、生きているの?



死は、一度だ。

生は、ずっとだ。

生きるとは、つくることだ。

終わるから、つくるのだ。

弱いから、つくるのだ。

自分は、自分でつくっていくんだ。



幸せは

生きるとは

死ぬとは

主張するものでも

見せびらかすものでもなく

ただそこにあるだけだ



僕はずっと幸せなんだ



周りが暗いときは

明るさに気づかない。

暗いとしか思わない。

明るいときしか

明るいものはつくれないだろう。

見えないだろう。



僕らは1つの方向しか向けないんだ



矢印の通りに座った。

人がいた。

人を人として認識していなかった。

今回は作品を見にきた気でいたから。



服を着ていた。

話していた。

歩いていた。

止まっていた。

眺めていた。

カップルもいた。

1人もいた。

中年もいた。



剥がれかけたテープが、瞑った目に見えた。



わからなかった。



第三会場の窓から、池が見えた。


鏡の向こうに、まだ見ぬ僕が見えた気がした。

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