[短編小説・児童文学・童話]ぷにゅぷにゅ
タケルは走った。じりじりとあつい空気の中、すぐに息があがり、すってもすっても足りないくらいのさんそをもやして走った。
「ぷにゅぷにゅが死んじゃう!」
そうさけんで、ぷにゅぷにゅをりょうてにかかえて、げんかんを飛び出してから、もう一時間は走り続けている。それでも、まだ小さいタケルは、同じところを何度もまわったり、少しほそい道にはいるのにとまどったり、うまくもくてきの人物を見つけられないでいる。
「まだこの町にいるっていってた。でもどこにいるんだろう」
もう走れなくなったタケルは、前かがみになって、息をすえるだけすった。
あかるかった空は、急にくらくなり、ぶあつい雲がすぐそこにある。
「そうだ、あのときも、こんなかんじだった」
タケルが、その男と会ったのは、すうじつ前、とつぜんふってきた大雨からにげてとびこんだ、本やののきさきだった。
「おや、きぐうですね」
と、その男は言った。やたらにせが高くて、細くて、このあついのにまっ黒いスーツをビシッときていて、丸いハットをかぶっていた。
はっきりと見たはずの顔は、なぜだかさっぱり思い出せない。ただ、優しい表情をしていたと思う。
「ぼくのタオル、かしてあげる」
タケルは、せおったランドセルにぶら下げた小さなバッグからタオルを出して、男にさし出した。
男はわずかに目を丸くして、そのあとすぐににっこりとわらった。
「では、ごしんせつにあまえましょう」
そういって、スーツのすいてきをふきとった。
「ありがとう。しんせつなぼっちゃん。さっきまで、少しいやなことがつづきましてね、このしんせつは、心にしみました」
男はむねに手をあててしみじみという。そしてタオルをかえしながら、こんなことをいった。
「そうだ、なにかおれいをしましょう。わたくし、こうみえてあきないをしていましてね。わたくしのあつかう商品の中から、なにか、そう、ですね、子どもむけの―」
男は、ガサゴソと足もとの大きなカバンをさぐって、なにかを見つけてニッとわらった。
「こんな天気ですし、こちらはいかがでしょう?」
そういってさしだされた手には、とうめいなまん丸い玉がのっていた。
「これは、ビー玉、かな?」
タケルはまじまじとその玉をのぞきこんだ。
玉の中にはキラキラひかる水が入っていて、そのまん中に、青い豆つぶのようなものがひとつ、くるくるとまわっている。そして、まわるのに合わせて、きみょうな歌が聞こえてきた。こんなふしぎできれいなビー玉、だれももっていないぞ。
「これ、くれるの? ぼく、お金はもってないんだ」
タケルがざんねんそうにいうと、男は首をふった。
「いえいえ、さしあげるんですよ。タダです。お金はいりません。こころばかりのおれいですよ」
タケルは、えんりょがちに受けとって、いちどにぎりしめると、もうてばなすことができなくなって、男ににっこりとえがおをむけておれいをいった。
「ありがとう。これ、きっと大切にする。とっても好きになったもの」
「それはようございました。これは、水を好みましてね、水をあたえるとおおきくなります。それから―」
タケルは、もう手の中の玉に夢中で、男の話をほとんど聞いてはいなかった。
家に帰ると、タケルは古い金魚鉢をひっぱりだしてきて、水をためた。
ぽちゃん。水にいれた玉は、ゆっくりとしずんでゆく。きらきらと光をはねかえしてとてもきれいだ。いちどみずぞこにしずんで、またゆっくりとうかんでくる。それをなんどもくりかえして、いきおいがなくなると、金魚鉢のちょうどまんなかにおちついて、またくるくると回転をはじめた。聞こえてくる歌声はすこし大きくなって、それでもタケルにはなにを言っているかわからなかった。
「外国の歌なのかも」
そうつぶやいて、玉を見つめつづけた。
「あれ?」
玉は、ゆっくりと大きくなっていて、気がつくと、タケルのこぶしほどの大きさにふくらんでいた。
「もうすぐ生まれるはず」
タケルは目をはなさずに、じっとそのときをまった。
玉の中の青い豆は、もう玉をやぶりそうなほどに大きくなっていて、パリパリと音がしたと思うと、パカッと玉がわれて、中から青いもやがインクのように金魚鉢の中に広がった。タケルは、ドキドキするむねをおさえて、息もするのをわすれて、そのようすを見ていた。
やがて、はかなかった青色が、水分をきゅうしゅうして、ぷるぷると重さをもってそこにあった。それは、いままさに、金魚鉢からはいだそうとしている。
ぷにゅん。タケルは、それを両手で受け止めた。
「わあ、ぷにゅぷにゅしてる! まあるくて、冷たくて、気持ちいい。きれいな青色だ。それにこれは、耳かな? ウサギみたいな耳だ。ここが目かな? まっ黒でちいさくてかわいいかも」
タケルはよろこんだ。これまで、毛のあるペットはすべてゆるされなかった。タケルの体に悪いえいきょうがあったからだ。でも、これなら、このこならだいじょうぶだろう。
「なまえ、そうだな。『ぷにゅぷにゅ』おまえは『ぷにゅぷにゅ』だ。よろしくな」
「キュイー」
ぷにゅぷにゅは高い声でへんじをした。
それからタケルは、できるかぎりぷにゅぷにゅをそばにおいた。ゲームをするにも、ごはんを食べるにもいっしょ。勉強だっていっしょにした。
ぷにゅぷにゅの体がすこしちぢむたびに、しっかりと水をあたえた。そうすると、ぷるんともとにもどって、げんきもとりもどすのだった。
「おふろ、いっしょにはいる?」
「キュイー」。
いっしょのおふろは楽しかった。ぷるぷるした体でせなかをあらってもらうのも、気持ちがよかった。あわをめいっぱいあわだてて、ぷにゅぷにゅをあらってやると、つるつるとすべって、あっちへいったりこっちへいったり。やさしくつかまえてやると、ふたりでくすくすとわらった。
いっしょにゆぶねに入ってぽかぽかしていると、ぷにゅぷにゅがどんどん大きくなって、ぎゅうぎゅうとおしつぶされそうになった。
タケルは、なんとかだつい所につるんとはいだして、おおいそぎでタオルでぷにゅぷにゅをぬぐったり、ドライヤーをあててやったり。
なんとかもとのおおきさになったぷにゅぷにゅは、もうわけなさそうに
「キュー」
とないた。
「いいんだ。ぷにゅぷにゅ。大好きなんだ」
タケルはそういって、ぷにゅぷにゅをだきしめた。
ベッドでねるのもいっしょだった。
「ねえ、ずっといっしょにいようね」
「キュイー」
タケルは、幸せなきもちでねむりについた。
次の日も、次の日も、タケルはぷにゅぷにゅとすごすのが楽しかった。今日だって、ずっといっしょだった。
あそんで、たべて、ひるねして。気がつくと、また少しちぢんだようすなので、タケルはせんめんきに水をはって、ぷにゅぷにゅをなかにいれてあげた。
「さあ、げんきになった?」
「キュー」
ぷにゅぷにゅは、力なくへんじをする。
「あれ? なんで? 大きくならない」
「キュー」
あやまるようにこたえるぷにゅぷにゅ。やっぱり元気がないようだ。
「なんで? どうして? もしかして病気?」
タケルは、しんぱいでしんぱいで、むねがぎゅうぎゅうといたんだ。
「そうだ。あの人ならなにかわかるかも。あの人にみてもらおう」
タケルは、ぷにゅぷにゅをつれて家を飛び出した。
空がくらいとおもったとたん、すぐに雨はふりだした。するどい雨が、バシバシとタケルとぷにゅぷにゅにおそいかかった。
たまらず、タケルは近くのバスていのやねの下にもぐりこんだ。ほかに人はいない。しばらくあまやどりさせてもらうことにした。
「ごめんね。ぷにゅぷにゅ。いたい? くるしい? ぼく、なんにもしてやれない。ごめんね。でも、なんとかするから。きっと、きっと」
タケルの目から、おおつぶの涙がこぼれた。かかえきれないほどの不安が、タケルのむねをいっぱいにした。
シャーっと水をかき分けると音がして、バスがとまった。プシューっとバスのとびらがあいて、なんにんか人がおりてくるけはいがした。
タケルは、下をむいて、なんとかなみだをとめようとがんばった。
「おや、これはまた、きぐうですね」
声をかけられて、顔をあげると、そこには、あの男の人がたっていた。
「あ、あの。ぷにゅぷにゅが弱っちゃたの。たすけてほしいの」
タケルは、なみだをみられることもかまわないで、男にこころからたのんだ。
「お水をあげても、もとにもどらないの。病気なの? なおせる?」
男は、こころからもうしわけないという顔をして、タケルにあたまをさげていった。
「これは、わたくしのせつめいがわるかったようです。もういちどせつめいしますと、これは、ブルー・グウーというオモチャです。つかいすての、いちどきりつかえるオモチャです。しようきげんは三日ほど。なおすことは、できません。もうしわけありません。」
タケルのからだにでんきがはしったみたいだった。
「オモチャ? いきものじゃないの? もう、いっしょにいられないの?」
タケルが信じられずに、そうことばをこぼすと、男はもういちどふかぶかと頭をさげた。
そのしぐさに、タケルはどうしようもないせっとくりょくをかんじて、これ以上なにもいえなくなった。
「ぷにゅぷにゅ、ごめん。ぼく、たすけてやれない。ごめん。ごめん」
「キュー」
よわよわしくこたえるぷにゅぷにゅを、タケルはそっとだきしめることしかできなかった。
男は、しばらくそのようすをみつめていた。そして、うんとうなづくと、タケルにこうきりだした。
「もし。なおすことはできません。『ぷにゅぷにゅ』くんは、このまま消えていくうんめいです。ですが、べつのブルー・グウーをおわたししてもかまいませんよ」
「どういうこと?」
「新しいオモチャをさしあげることはできます。いえ、それくらしかわたくしにはできません。もうしわけない」
タケルは、すぐに首をふった。
「ぼくね、ぷにゅぷにゅがすきなの。このこ、ぷにゅぷにゅっていうの。このこが、ぷにゅぷにゅなの」
「わかりました。ではせめて、おうちまでおおくりしましょう」
男は、まっ黒で大きなカサを広げると、タケルをカサのなかにまねいた。
「ぼくたち、ともだちだからね」
タケルは、ぷにゅぷにゅをだきしめ、ベッドにこしかけた。
ぷにゅぷにゅは、もう、かたほうのてのひらにのってしまうほど小さくなっていた。それでも、すりすりとタケルの手にあまえ、キューキューと声をだした。
「だいすき。だいすき。もっとしっしょにいたかったよ。だいすきだよ、ぷにゅぷにゅ」
「キュー」
それが、ぷにゅぷにゅのさいごのへんじだった。
小さな声をあげると、どんどんと青い色がうすくなり、どんどんとちいさくなっていく。
色がなくなったとおもったとき、ぷにゅぷにゅはすうっと消えて、あとに、ちいさなちいさな空っぽの玉がのこった。
「わあっ」
タケルは、のこされた玉をそっとにぎりしめると、わあわあとなきたいだけないた。ないてないて、もうなみだがでなくなると、手をひらいた。
「ぷにゅぷにゅ。ぼく、わすれないから」
タケルは、その玉を、ずっとずっと大切にするとこころにきめた。
おわり
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