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実母から縁を切られた話

表題の通りなのですが、私は実の母から縁を切られています。こんな人もいるんだなと思って読んでいただけたら嬉しいです。


お話しようと思った経緯

パートナーの都合で現在はアメリカで生活している私。海外で育児をしていると「日本にいる親族とどのように交流しているか」はよく話題になるトピックです。

・親は孫と対面できたのか。
・出産・産後は親からのサポートを得られたのか。
・一時帰国時は実家に滞在するのか。
・親族全員日本に住んでいるのか、存命なのか。
・アメリカに遊びに来ることはあるのか。

そんな話題になった時、最初から実母のことは話しません。ちょっとパンチが強いので。だけど、段々母のことを説明しないと辻褄が合わなくなってくるんですよね。隠している訳でもないので、「実は母とは疎遠でして…」と話すと話題は全部こっちに持っていかれるのがいつもの流れ。

母のことを思い出すと辛くなる時期もあったが、3年以上経ち私の心も整ったのだと思う。言い換えると、母と直接関わることのない人生を受け止めることができるようになったのだと思う。受け止められるようになったきっかけは明確で、ライフコーチングを受けたこと。なので、コーチングについてはまた別の機会に書けたらと思っている。

自分の中に留めず、公にする理由

これは自分の中で明確な回答があります。
それは、私の体験談が誰かの役に立つ日が来るかもしれないから。母との関係が悪化した時、私は同じ境遇の方がいないかGoogle検索しまくったんです。絶縁されたり、結婚を反対された方はいらしたけれど、なかなか似たような境遇の方を見つけることができなかったのですよね。将来同じような悩みを持った方がネット検索したときに、私の経験が少しでも参考になればと考え、noteに掲載することにしました。こんな人間もいるんです。




きっかけ

母から縁を切られたきっかけ、それは「結婚」。
まぁよくあることですよね。ないのかな。笑 私は母から結婚を2回反対されました。正確に言うと、2人の方との結婚を反対されました。反対されるまでの経緯を書くと長すぎるので端折りますが、端的にいうと「愛嬌がない、気に食わない、嫌い、あの人は出世しない」が母の言い分でした。2回とも。

反対された時に母から言われた言葉。「私は結婚を反対してはいない。結婚したいならすれば良い。私があの人のことを嫌なだけ。あなたの顔をみるとあの人を思い出すから、結婚するならあなたにも会いたくない。」

こんな感じです。

男選びのセンスがないのかと疑われそうですが、全くそんなことはなくて!(自分で言っても信憑性ないですね。)他人への思いやりがあり、私よりも安定した職もあり、私を大切にしてくれる方でした。何といいますか、所謂「母が思い描く理想の結婚相手」ではなかったのだと思います。

結婚の話がでるまで、私は友達よりも母とお出かけするのが好きなくらい母と一緒でした。何でも母に相談して、母が認めてもらえることが安心材料のように生きてきたのです。今思えば、自立できていなかったのでしょう。
自分に対する承認を「母や他人から認められること」で埋めようとしてきたのです。自分が自分を認めてあげることこそが、真の自己肯定感だと今は理解できたつもりです。

結婚反対(一回目)

一人目の婚約者Aさんとは、結婚を反対されてから約1年、二人で解決方法を探しました。解決策といっても

①母の反対を押し切って結婚
②Aさんと別れる

の二択しか残されていなかったんです。私は③母がAさんとの結婚を認めてくれる を求めていましたが、まぁ無理な話でした。結局、「母に認めてもらいたい!でも別れたくない」という私の我儘にAさんを付き合わせてしまい、前に進めない状況を過ごし、痺れを切らしたAさんに決断を迫られて別々の道を歩むことになりました。

Aさん、どうか幸せな人生を歩んでおられますように。

結婚反対(二回目)

時を経てBさんと出会います。早々に結婚の流れに。しかし母はまたしても反対。Aさんの反対の時以上に絶望を感じ、あらゆる感情が交錯しました。

・Aさんと結婚しても変わらなかったじゃないかという衝撃
・母の想う私のパートナー像は何なのか、誰が正解なのか
・30歳を過ぎた私の意思を尊重してもらえない悲しさ
・私の選択を応援してもらえない悲しさ
・私はいつ結婚できるのかという絶望
・両親に祝福される結婚ができないかもしれない悲しさ

母と私は別人格で価値観が違うのは当たり前。今ならそう思える。でも、2回目の結婚を反対された時は絶望しかなかったんです。そして、Aさんとの結婚を決断しきれなかった私に対しても、反対した母に対しても怒りがありました。しかし、よく考えてみれば、結婚しない選択をしたのは「母」ではなく「私」。母に反対された事実はあった。でも、結婚しない選択をしたのは「私」。本当に結婚する運命だったなら、母と縁を切ってでも結婚していたのだと思います。

そう、「私」の覚悟が足りなかったのです。
そう思うことで、ご縁がなかったと思うようにして過ごしました。現に、母に縁を切られても今のパートナーと一緒にいることを「私」が選びました。
因みに、旦那と義両親が私のこと・家庭の事情を理解し許容してくださったからこそ結婚できたことは言うまでもありません。

補足すると、一番最初に反対されたAさん・Aさんのご家族も最高に優しい方でした。今更元彼女が御礼を言う機会なんてあったらおかしいので、この場をお借りしてお詫びと御礼を申し上げます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。可愛がってくださり、本当にありがとうございました。

余談ですが、コーチングを受けてから過去に私が傷つけてしまった方々、お世話になった方々をより強く思い出しました。この場を借りてお詫びさせていただきます。今まで関わってきてくださった方のお陰で今の私がいる。些細な言葉で傷つけてしまった方もいた。過去の私の至らなさをこの場をおかりしてお詫びします。

娘が産まれて

結婚を反対されている最中にパートナーの海外移住が決まり、そのまま渡米。以降、母と連絡は取れず、父から母の様子を聞いています。妊娠した時、心の中で男の子が欲しいと思っていた。私と母のような関係になることを恐れていたから。

でも、気持ちとは裏腹に女の子でした。
妊娠・出産・育児を経験して、母を思い出すことが多くなり辛かった。母の大変さ、有難さを身をもって感じたからです。

将来娘が見つけ出した”大切な人”を受け入れることができるのだろうか?

私の理想を娘に押しつけやしないだろうか。。

娘の選択を受け入れられる母であることが私の今後の目標だ。
自分への戒めでもある。

母への気持ち

今でも母のことは好きで、いつかもう一度会いたいと思う。社会で一人で生きられるように育ててくれたこと、沢山のお金と時間とかけて沢山の経験をいただいたことに感謝しています。

母と娘が会話をする将来が来たら、嬉しい気持ちがある。ただ、母が望まないのならこのままで良い。母が幸せで過ごしてくれているなら、それで良い。今はそう考えています。


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