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銀杏BOYZを聴いたら一瞬で夜の底に落ちた。

 世界一どうでもいい自分だけのはなしなので、これを読むのは自分だけでいい。銀杏BOYZを聴いたら一瞬で夜の底に落ちた。プラネタリウムみたい。詩的なことが言いたいんじゃない。声に含まれる夜の匂いと湿気。世界には自分しかいないのではないかと思う夜中の質感。それを確認したくて曲を聴きながら書いてる、それだけ。

 夜はみんな眠りにつく。だから生よりかは死に近い。はやく夜をのりこえておひさまを見たいとかんがえる。でも銀杏BOYZをきいていると、そうじゃないなとおもう。夜はなまなましい生だ。性といってしまうと安直だからいやだな、もっと複雑で、にんげんっていうものの生がむきだしになってしまう時間。 

 湿った夜。雨が降っているのかもしれない。道路にブレーキランプの赤が反射しているような半袖の二十三時。若者の物語は常に夜の底にある。深い夜をあるくことが許された瞬間をもう思い出せない。深夜二時にカラオケに行くだけで、罪悪感なんてどうしてうまれよう。そんな無敵さをそれと知らずにふりまいた。自転車、散歩。ちがう、べつに思い出話がしたいわけじゃない。いつか口ずさんだうたは不意にうかびあがって今をおびやかす。だれがうたったの? そんな情報よりも気温と湿度。夜の星はこのくらいの数があたりまえだった。つめたい空気がちらちら瞬かせたとしても。夜は深海に似ていればいい。まちごと沈んでしまったようにしずか。夜露に濡れた白詰草をおもいだす。そんな経験ないのに。

 にんげんの欲求にいちばん近いのが夜なのか。だからきもちがあふれて絶望したりくだらない文章をかいたりするのか。朝になって削除するような文章なら書くなよ。あふれでた気持ちぜんぶうそってことになる。夜に一歩あしをふみいれる。気をつけないと、底なしなら抜け出せずにしぬ。たとえば恋をしているとき、夜のおもいは本物なのか、脚色されたそれなのか。昼の記憶、朝の記憶、って言われても思いつかないよ。夜の記憶なら死ぬほど思いつくけど。世界一どうでもいいやつばっかりね。

 零時すぎると聴覚が心と直結するな。昼間にはきこえちゃいないベースの音が内臓のうちがわのなんか命と関係してそうなところにずんずん響いたりする。あと言葉がおもしろいくらい簡単にしみこむ。あれだよ、チーズケーキのひとくちめみたいな。だからめちゃめちゃ苦しい。すんごいでっかいもの受け止めたのに自分から排出できないのが。だからこういうの書いてなんとかして排出しようとしてるんだな、取り入れたのとおなじだけ排出しなきゃほんとはくるしいんだけど自分の能力じゃ無理ってのがつらいし笑えるね。みんなどうやっていきてるんだろう。

 夜はひとりぼっちなことを知らしめてくるからこわい。だれかといたって結局ひとり、脳でわかってても感覚で教えられるとね、やっぱりちょっとひるむよね。本質はよるにある。だから東京の夜ってなんかへんだよ、きらきらしちゃってさ、まるで生はだれかと共にあるみたい。嘘はいけない、毎晩だれかとすごす××嬢の孤独。安っぽいネオンだけがほんとのこと知ってる。

 だれもいない街ってどんなんだろう。いまこの瞬間を東京の路上ですごしてるひとってどのくらいいる? だめだよおうちにいなきゃ、いいこでステイホーム、犬みたいだな。わたし本当はいますぐそとにとびだして、国道なんとか号とかなんとか街道を自転車で走り抜けたい。マウンテンバイクでもロードバイクでもない楽天で買った安い折りたたみ自転車だけど。そんで銀杏BOYZききながら道がなくなるまで走ってくの。お前いくつだよって絶対いうでしょ、ていうか自分のなかの自分が言ってるんだけどさ、でも夜ってそういう時間じゃん。

 「君の胸にキスをしたら君はどんな声だすだろう」。うん、夜ってそういうことだよな。ひとことで片付けられてしまった。こんだけだらだら書いても言い切れないことをひとことで。こうやってまた取り入れたものがおおきくなってよけいに苦しくなってくんだよな。ほんとは寝ちゃえばぜんぶリセットでどうでもよくなるの知ってるけどそれは逃げてる気がするからね、朝起きて昨夜かいたもの全部消すのとおなじ卑怯さだとおもうんだ、もしくはそんな自分を客観的にみはじめてばかにするような下劣さ。そうなるなよと六時間後の自分にお願いをしとこう。夜のわたしと朝のわたしは別人格だ。

 以上、夜の底からお伝えしました。

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