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犬を想う

私の幼い記憶の中での最初…
多分2歳半を過ぎた頃だと思う

その頃は、割と裕福と思われる本家と
すぐ近くの自宅兼お店の周囲を、年の近い従姉弟たちと走り回って遊んでいた。

本家と自宅は路地で繋がり、裏山には
神社へ登る階段を見上げ、本家の敷地に
犬小屋があった。

鉄格子の犬小屋に居たのは、多分シェパードだったと思う。

自分よりも大きな犬で…常に臭くて近寄りたくなかった。

シェパードは小屋の中でウロウロ動き回っていた。

幼い私はただ…大きな犬がウンチ臭くて
「くさい!くさい!」
と言うだけで何にも考えれていなかった。

私は3歳の時には、その土地を離れ大人たちの事情に翻弄されることになるので、その後のシェパードに会うことはなかったので事実は分からない。
(詳しくは最初の記事へお越しください)

しかし後々になって考えると
シェパードは餌だけは貰っていても
お世話をしないで小屋に閉じ込められていたのではないだろうか?と思ったのだった。

小屋には常にウンチが沢山あって片付けてもらえていない状況だし〜
シェパードは落ち着きなくウロウロ動き回っていて散歩しているのかどうか不明だった。

私は自分自身が、母親から放任されていたので、そのシェパードと自分を重ねていたように思う。

育ててくれていた祖母が亡くなり
幼い母は女の顔で…アテにならず
自分で大人になるしかないと考えながら
強いトラウマに支配されていた私。

鉄格子の中の犬と私


あのシェパードはどんな風に生きただろうか?

飼い主に餌だけを与えられて、その環境を受け入れるだけで鉄格子から出ることは無かったのだろうか?

適度に可愛がられて、散歩して裏山を楽しんだり、思いっきり走ったりしたのだろうと信じたい私がいる。

動物が大好きな私は、本家との縁が切れなければ、シェパードの小屋を掃除して
ブラッシングしてやり、時には引きずられながら一緒に遊んだだろうと想像して…シェパードの生涯が幸せだったと祈るしか出来ない。

動物は愛玩物でも畜生でも無いと思う。
ヒトの都合で色々な扱いをされてしまう動物たちの『いのち』は自然界の一部であり、人と一緒に暮らす動物は家族的であろうと考えたい。

家族として迎えたなら、キチンと約束事を教えて…家族と言う社会生活をノンストレスで楽しく生きて欲しいと願う。

彼等の笑顔は最高に素晴らしいでしょう
╰(*´︶`*)╯♡

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