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近所にあったら入り浸ってるかも:読書録「本の読める場所を求めて」

・本の読める場所を求めて
著者:阿久津隆
出版:朝日出版社

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「本の読める本」<フヅクエ>を経営する作者が、そう言う「場所」を作るに至った<思考的な>経緯と、<フヅクエ>のあり方に関する説明、今後への「夢想」を書き連ねた作品。
そう言う場所があることは知ってたんですが(もっとカフェ寄りの店と思ってましたがw)、bar bossaの林さんの記事にちょっと紹介されてて、読んでみる気になりました。


いや、結構面白かったです。
終始、ニヤニヤしながら読んだんですが、作者は(多分)大真面目。
真面目に「本を読む」と言うことを追求し、その果てに「本を読む店」を作り上げてるんですが、側から見ると、
「なんとまあ、こんなとこにまで拘って…」
って感じになるんです。
なるんだけど、「本を読む者」としては、
「そうなんだよなぁ〜」
ともなって、そう言う自分自身に対する「呆れ」も含めての「ニヤニヤ」。


その面倒臭さの一旦は<フヅクエ>のHPを読めば…。


めんどくせぇ。
でも、いちいち腑に落ちるんですよねぇ。
わざわざ東京まで本を読みにいく気はありません。
ないんだけど、自転車で30分くらいのところにあったら週1くらいのペースで、会社帰りに寄ってるかもw。
そんな気分になりました。
(だから、是非とも作者の「夢想」が実現して欲しいなぁ、と)


読みながら、
「僕にとっての最良の<本を読む場所>ってどこかなぁ」
と考えました。
まあ、「今、現在」だと、「家のソファ」or「家のベランダ」かな?
来し方を振り返って…となると、10代後半から20代初め(大学卒業まで)に、「青春18きっぷ」でダラダラ乗ってたJRの列車の中、かも。


何冊か本を鞄に突っ込んで、鈍行に乗って、
没入してた本の世界から、ふと目を上げた時、
山の緑の中を、海岸線を、雪の中を、
走る列車の中にいる自分に気づく。
しばし外の景色に目をやって、また本の世界に戻っていく、あの時間。


「あの時間」が、今も僕の中では「本との時間」として、確かに残っています。
今じゃあ、あの硬い座席に長時間座ってるのは無理だけどね〜w。
だから今更やろうとは思わない。
思わないけど、ああ言う時間を持てたのは、自分にとっては幸せなことだったな、とね。


「読書」自体が「何かの役に立つ」とは僕はあんまり思ってません。
「功罪」だと、「罪」の方が多いくらいw。


でも、もう一度、時間を遡ることができたら、やっぱり僕は本を鞄に突っ込んで、鈍行列車に乗るんじゃないかな?
なんともはや、それはある種の中毒ですらあるような…。


老眼が進んで、「本を読む」と言うことに集中できなくなりつつある今、その記憶を懐かしく思い出す時があります。
まあ、もうしばらくは本とのお付き合いは、付かず離れず続けていきたいとも思ってますけどね。


この夏はあんまり外をフラフラできそうもないから、「本を読む場所」として、ベランダのDIYでもするかな?


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