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「世界一の製造ライン」はどんな風になっていたのか:映画評「メイキング・オブ・モータウン」

先に読んだ大和田俊之さんの「アメリカ音楽」では、モータウンについてこんな風に書かれています。


<自ら「自動車の街 =モーター・タウン(モータウン)」と名づけたレーベルのコンセプトについて彼は自伝で次のように語っている。

工場で車ははじめにフレームの形で現れ、ベルトコンベアーで生産ラインの終点に流れてくる──ピカピカの新車になって。私はそのコンセプトを自分の会社にも導入しようと思った。ただし、アーティストや楽曲やレコードでね。ストリートの無名の子どもがひとつのドアから入り、別のドアから出るときにはレコーディング・アーティスト、いやスターになっているような場所を作りたかったんだ。>

<先の引用で注目すべきは、ゴーディーが流れ作業で「生産 =プロデュース」するのが「レコード」や「楽曲」ではなく「アーティスト」であるという点だ。前述したとおり、一九六四年のブリティッシュ・インヴェイジョン以降、ブリル・ビルディング系のアーティストの人気が低下してモータウンが生き残るとすれば、この引用には音楽の焦点を「楽曲」から「アーティスト」にシフトしたゴーディーの先見が現れているといえるだろう。ゴーディーは音楽業界で大量生産されるのが「楽曲」ではなく「スター」であるというロック時代の到来を見抜いたのだ。>


その「世界一の製造ライン」がいかにして作られ、ワークしていたのか。そしてどんな風に時代の流れの中で使命を終えて行ったのか。
…について、創始者のベリー・ゴーディ自身と、盟友スモーキー・ロビンソンを中心に、数々の素晴らしい関係者のインタビューで構成したドキュメンタリー。
ニール・ヤングまで登場するのがビックリですw。


まあ、ゴーディ目線でのドキュメンタリーですからね。
色々言いたいことがある人はいるでしょうし、立場によっては…ってのはあるんじゃないでしょうか。
ただまあ、結構自分なりに正直に言ってるんじゃないかなぁ、って気はしますよ。
90歳近くなって(多分、作られたのは88歳か、89歳)、そんなに糊塗するつもりもなくなってるんじゃないでしょうか。
スモーキー・ロビンソンとの仲の良さ、じゃれ合いは、ナカナカの見ものなんじゃないかとも思います。


ドキュメンタリーとしても、凝った、クールな作りになっています。
過去の「音声」に合わせて、コラージュ手法で過去シーンを再現するあたりとか。
マーヴィン・ゲイのデビュー前夜のゴーディとのやりとりとか、笑えるくだりになってます。
(マーヴィン・ゲイについては、What’s Going onの多重録音の表現も秀逸)



結局のところ、「製造ライン」としてもモータウンに大きな瑕疵は生じません。
ただそこに属するアーティストたちが、「モータウン」というブランドの「品質保証」の範囲を超えた表現を求めるようになった時、「製造ライン」としての機能を発揮できなくなった…ということなのでしょう。
その象徴となるのが「What’s Going On」を巡るゴーディとゲイの対立になるわけです。




本作はどこを切っても最高のモータウンミュージックが溢れていて、ご機嫌です。
サントラも、まあ最高ですわねw。


こういう形でのレーベル・ブランドとして「品質」が求められるような時代では、今はなくなっています。
ストリーミングが主流になることで、アーティストとリスナーの関係性もどんどん変わってきています。
そんな時代には、もう「モータウン」や「ベリー・ゴーディ」のような存在が登場することはないのかもしれません。
でもこれだけのご機嫌な音楽が残っていて、それをどの世代の人でも、自由に聴き、楽しめるようになってるわけです。
「あの頃は良かった」
そんな風には、僕は整理したくはないですね。



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