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矢吹丈に「余生」はないけれど:読書録「一八〇秒の熱量」

・一八〇秒の熱量
著者:山本草介
出版:双葉社

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本書に関してはこのレビューが言い尽くしてくれています。
っうか、コレ読んで、読んでみる気になたんですけどw。



「狂気」に陥るのは、ボクサー本人はもちろん、ジムの会長、トレーナー、そして作者であるドキュメンタリーのディレクターもその渦に巻き込まれます。
でも、その渦を作り出すのは中心となるボクサーなんだけど、読んでると、彼が積極的に先導してって感じでもないんですよね。


マッチメイクするジムの会長
トレーニングを指導しつつ、戦術を組み立てていくトレーナー


それぞれが、それぞれの立場から、「狂気」の渦を作り出していて、時にボクサーをその「渦」に巻き込むような局面すらもあるように見えます。
それはドキュメンタリーを「作り上げる」ディレクターにもまた言えることであり…。


そういう意味で、「狂気」を作り出すのはボクサーだけでなく、その周り全員であり、それが「熱量」となって「狂気」を暴走させていく…という構図のように見えます。
時にボクサーの方が引き摺られてるような状況もありますからね、これ。
(舞台となる「青木ジム」は、本書でも触れられてるように、パワハラ等の問題で昨年閉鎖されています。
その詳細は知らないので是否をどうこういうことはできませんが、そういう関係性が成立してしまう土壌はあるのかもなぁ、とも感じました)


そういう中で、ボクサーを支える恋人の存在が、ちょっと面白い。
ある意味、「狂気」を支えながら、全てを受け入れるというか…。
まあ、この人がいなきゃ、ここまで彼らが来ることはなかったろうなぁ、と。


作者はボクサーが6年後に語る「余生」という言葉に引っかかっているようです。
それは作者自身が「現役バリバリ」だからでしょう。
これだけの「瞬間」を見てしまった人間が、それ以降を「余生」と感じるのは仕方がないことなのではないか。
「矢吹丈」は「真っ白な灰」になることができたけど、現実にはそういうわけにはいかないのですから。
その「余生」に、寄り添ってくれる人がいるっていうのは、羨ましいことなんじゃないかとも思いますよ。


まあ、「余生」をどう生きるのか…ってのも現実世界においては大切なんですけどね。


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