乗り過ごして川越。
初めて川越を訪ねた。2022、夏。
遠く離れた縁のない街だと思っていたが、よくよく考えたら毎日乗り込む電車の行き先に「川越」の文字が光っていた。普段降りる駅を通過してそのまま終点まで乗り過ごせば到着するのか、と考えたら川越が急に近づいてきた。
ということでいつもの乗降駅を乗り過ごし、見慣れぬ景色を楽しみながら川越へやってきた。思っていたよりも古い街並みがしっかり残されていて賑わいもあり、立派な観光地だった。訪れたのは夏のことだったから浴衣姿の若者も多く、ムードを高めるのに一役買っていた。
川越のシンボルと言えばなんと言っても「時の鐘」だろう。わたしはその「時の鐘」をなぜか川沿いの橋の袂に立っているものだとばかり思い込んできた(※)。そのため改札を抜けた後、時の鐘を目指すべくなんとなく川を求めて歩き始めていた。しかし、歩けども歩けども一向に川が現れる気配がない。当然である。そのうちに時の鐘の案内表示板が現れて、こんな方に川があったのかといまだ川沿いにあると信じて疑わぬままたどり着いた先があの鐘つき通りこと、時の鐘のある古き街並みの一角だった。
時の鐘は悪目立ちすることなく、周辺の建造物と共に川越の景観の一部として調和していた。それは調和し過ぎるほどの調和で、けっこう近くに行くまでそこにあることに気付けなかった。なんせ、こっちは川べりに立つ目立つ存在だと思い込んでいたのだから仕方ない。
※千葉の佐原と混同していたと思われます。大変失礼しました。
川越は「小江戸」の異名をとっているが、表通りから少し路地へ迷い込むと昭和の風情を色濃く残す町であった。迷うほどに楽しい。
結論。川越で川は越えないのだった。
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