見出し画像

緑色ソーダ水とオレンジの窓。

子供の頃に暮らしていた家はおおむね南に面して建っていたから、両隣のお宅のことを「東の家」「西の家」と呼んでいた。わたしの方向感覚は完全にそこで養われた。最近ではその感覚も徐々に衰えつつあるけれど。

あれは1970年半ば頃のことだったと思う。
ある時「東の家」の敷地内に小さなスナック兼喫茶店がオープンした。
東の家の敷地には母家の他に2階建ての小さな離れが建っていて、通りに面していた1階車庫部分をお店に改装したのだった。
当時実家のあったあたりは地方都市の住宅と田んぼが入り混じる幹線道路から少し外れた静かな場所で、もっとも近くの商業施設といえば川と田んぼに挟まれた未舗装の道を7、8分歩いていった先にある通称「フジパン」と呼ばれていた駄菓子屋だった。そんな片田舎の静かな住宅地のはずれに突然スナックがオープンしたのだから近所はそれなりにザワついたと思う。

お店のオーナーは「東の家」の娘さんだった。
開店当日、小学校の2、3年生だったわたしはお店の開店という華やかな雰囲気と物珍しさにひかれてお店の前をむやみにうろついていた。するとオーナーである東の家のお姉さんがお店の中から手招きしてわたしを中へ入れてくれたのだ。

喫茶店はパチンコ屋、スマートボール場などと並んで夏休み前に配布されるしおりに「行ってはいけない場所」としてリストアップされていた時代だった。しかもここはスナックでもあるのだ。それまで親同伴でも入ったことのない禁断の領域で、わたしはおずおずと薄暗い店内へ足を踏み入れた。
小さなお店の中にはたしかカウンター席が5、6席と、入り口脇の窓際に小さな正方形のテーブル席が一つあった。
わたしは店内唯一のテーブル席である窓際の席へ通された。ドキドキしながら座っていると、目の前に緑色したソーダ水のグラスが置かれた。もちろん、中には缶詰の赤いサクランボがひとつ入っていた。
1人で喫茶店に入ってソーダ水を飲むなんて、自分が急に大人になったような気がしたものだ。

お店にある唯一の窓には一面オレンジ色のフィルムが貼られていた。窓からは毎朝学校へ行くための登校班の集合場所がよく見えた。
ひとり緑色のソーダ水を飲みながらオレンジ色の窓越しに外を眺めていると、毎日見慣れているはずの景色がまるで知らない場所のようにも、もしくは自分が大人になった未来の景色のようにも感じた。

お姉さんともきっと何か話をしたはずだけど何も憶えていない。そもそもそれほど親しくさせてもらってはいなかったはずのわたしによくぞご馳走してくれたものだ。きっとお姉さんもあの日はお祝い気分だったのだろう。
あの時わたしはちゃんとお礼を言えただろうか。家に帰って親に報告しただろうか。本当にちゃらんぽらんな子どもだったので思い返すと不安になる。

その後味をしめたわたしはお店の営業中に期待を込めて何度となく店の前をうろうろしてみたけれど、二度と手招きされることはなかった。やっぱりあの日のお姉さんはお祝いモードだったのだ。
田舎の住宅地の入り口に突然現れた小さなスナック兼喫茶店は、オープン当初こそ物珍しさも手伝って賑わいを見せていたようだったが徐々に静かになっていき、お店に明かりが灯らない日が増え、数年後にはとうとう看板が外された。あっという間の出来事だった。この場所じゃ儲からなかったのだろうなぁ、お店って大変なんだなぁと子どもながらに同情したりした。

もちろん本文とは関係はありません





この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?