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書記の読書記録#83「砂の女」

安部公房「砂の女」のレビュー


レビュー

1962年出版。

「流砂(quicksand)とは,水分を含んだもろい地盤又はそこに重みや圧力がかかって崩壊する現象である。砂・泥・粘土などの粒子が、地下の湧水などによって水分が飽和状態になることにより形成される。流砂は圧力がかかって崩壊するまでは,一見普通の地面のように見えている。(Wikipediaより引用)」


環境に順応する過程というのは研究され続けているテーマであるが,本作はそれを文学世界に落とし込んだものだろう。また,逃亡というモチーフをもとに制限された空間,その外側としての自由,も見られる。


はじめこそ砂に埋まるだなんて考えられないと言った読者が,気づけば砂の感覚に慣れている。砂を感じる読者が少なくないのは,文章により想像上で事物が結びつけられているからか,わずかばかりの砂の記憶を想起させる。焦燥感が砂を通して共有される。


ルサンチマンの渦,というものを流砂1つで喩えることができる文章。ありえない設定があったとして,その組み合わせによりあり得るものと思わせるのが,比喩の強力な効果である。知らぬ間に価値観の倒置まで導いてしまう恐ろしさだ。


重要と思う場面を引用しておく。
p98「そう……十何年か前の,あの廃墟の時代には,誰もがこぞって,歩かないですむ自由を求めて狂奔したものだった」
p177「そのなかで,講師が,こんなことを言っていた。ー「労働を越える道は,労働を通して以外にはありません。〜」」


p124「≪砂丘の悪魔≫か,さもなければ≪蟻地獄の恐怖≧」と,この段階では題するようであった。それが結果として「砂の女」となったのは,男の心理変化を示しているように思う。悪魔あるいは蟻地獄という属性を,女に丸め込んだ感じだろうか。女=Femme fataleとも言える。単純な恐怖に妖艶さが加わった。


脱出を試みるシーンを見ると,本作の事物の包含関係の曖昧さに戸惑う。女ですら,さらに部落の人々ですら境界を定義しえない。境界が無ければ法は無いに等しい。情緒不安定なのだ,世界全体が。


異世界もの,というのは古くから文学世界にある概念だと思っている。本作のポイントは,異世界の「異」が除かれる過程にある。「異」に対する恐怖は最後まで持続しながらも,徐々に自らに取り込んで「異」でなくするという。


読むことの面白さ,という単純な要件を本作は十分に満たしていると思う。ページをめくり進めること,ふと立ち止まって考えること,改めて戻ってみること,どれをとっても本作は可能性に満ちている。


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