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書記の読書記録#574『「東アジアに哲学はない」のか――京都学派と新儒家』

朝倉 友海『「東アジアに哲学はない」のか――京都学派と新儒家』のレビュー


レビュー

東アジアにおける哲学は,京都学派と新儒家をともに視野に入れて受け止めることから始まるー本書が伝えたいことは,この一点に尽きる。(あとがきより)

西洋哲学と東アジア哲学の違いについて触れつつ,京都学派と新儒家の進展について説明する。新たな創設への希求,ディアレクティークの欠如など。


もくじ

第1章 東アジアと西洋哲学―「哲学なし」とはどういうことか(近代哲学の歴史的意義―ベーコン、デカルト、そして「未来の哲学」;「哲学」からみた東アジア思想;「哲学」受容がはらむ問題;「東アジア哲学」の分岐点―会通かそれとも寄与か)
第2章 京都学派が切り開いた途―哲学への貢献を目指して(「西田哲学」はなぜそう呼ばれるのか;自覚・場所・世界;場所的論理の位置づけ―哲学と仏教に対して;西田から京都学派へ)
第3章 新儒家が進んだ途―会通から見えてきたもの(中国思想の再建とは何を意味するのか;牟宗三による「中西哲学の会通」;後期牟宗三の円教論―仏教的存在論をめぐって;新儒家により拓かれた地平)
第4章 二つの途は交錯するのか―「東アジア哲学」の諸条件(京都学派に取って代わったもの;戦後京都学派の新機軸;新儒家からポスト新儒家へ;統一理論の可能性)


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