ルジャンドルを読む1
こんにちは。こんばんは。今日もお疲れ様です。
舞踏論関連で、ルジャンドルを読もうかなと思っていたのだが、大分ほったからしにしていたので、ほったらかしにしていたnoteの再開と共に始めてみようかなと思い立ちました。
ピエール・ルジャンドルは、今年95歳くらいでお亡くなりになった、フランスの最後の超反抗的(?)知識人です。法律の専門家、ローマ法の専門家でありパリ大学の法学部教授にも関わらず、精神分析に手を出して、そのローマからの圧倒的教養、ラテン語の鬼(まあ日本でいう古文の鬼、みたいなもんで、ここらはほぼ日本人、アジア人には不可能なレベルでのラテン語読解の力を備えます)をベースに、「ドグマ人類学」なるものを作り出し、法学部の中で煙たがられる存在になったようです(これは人づての伝聞です)。
ことの真偽はさておき、彼はヨーロッパの真髄、ヨーロッパ文化の中枢たるローマ法の専門家でありながら、ヨーロッパから出て外部の目を持とうとした、よく言えばオリジナル、悪く言えば奇人、変人、変態(いや、今や変態は褒め言葉ですが)の哲学者・人類学者・法学者・精神分析学者、といったところでしょうか。
そのオリジナルな思考は、僕の学部生時代のスター教授たる、西谷修先生が(嗚呼、あの頃先生はかっこよかった。全身革のスーツに身を包み、バイクで大学にいらしていた、空き缶を吸い殻にして、タバコを吸いながらする講義スタイル、あれは今でも僕の見本です)日本に紹介したとあって、長らく興味は持っていたものの、読む時間があまり取れなかったので、最近集中的に読んでいこうかなと、いう次第です。
まずは基礎知識として、フランス語のle droitという単語。これは「権利」や「法」と訳されています。そもそも権利と法って全然違うじゃん、何をそんなものを一緒にしたら議論がめちゃくちゃになるじゃないか、というのは正しい反応ですが、実はこれ日本語の訳語がカオスってるので、(今そのカオスについての本を執筆中です。来年頭には出したい)気にせずに。
とりあえずは、コミュニティによって許されてること、慣習的にやっていいこと、さらには法律によって許されてる、認められていること、というのが原義で、それらを集めて法が出来上がる、ということです。
とりあえず、目下読書中の舞踏論からの一節
音楽のように、ダンスは謎である。無意識か、この無音の言説(ダンス)によって、燃え尽きる。全ては言われている。欲望のテクストが発見されるべきである
とのこと。
この舞踏論、他者であることの情熱と副題がついていて、多分だが、こんな話だと思われます。
ダンスは、皆が言うように、自然の開放された肉体の言語だ、自然への回帰だ!というのは嘘っぱちで、そこにはすでに社会的な法(la loi)が侵入しており、法による主体化がなされており、精神分析が解釈すべき抑圧された欲望が渦巻いている。それは他者になるという、愛の言語である、みたいな話なんじゃないかと予想しながら読み進めています。
不定期更新ですが、タンゴの舞踏論を作るための大事な予備作業と備忘録です。
近々再アップします。
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