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融通無碍・無色透明・唯我独尊

連続して読んだ二冊。

「世界一過酷な場所で見つけた 命の次に大事なこと」(村田慎二郎)

「一神教と帝国」(内田樹・中田考・山本直樹)

共通するのは村田氏のシリア等でのMSFの活動と山本氏がトルコの大学で教鞭をとっているという地理的な話くらいで、中身はあまり…と思っていたのですが、二冊を読み通すと日本という国の立ち位置について考えることになりました。
村田氏の方の最後にこういう箇所があります。

国境なき医師団はなぜ日本に事務局をかまえたのか?

ここに、国境なき医師団日本の事務局長としての夢を語りたい。
国境なき医師団の日本事務局は、フランスで国境なき医師団が生まれた約
年後の1992年に設立された。
ちょうど日本経済のバブルが崩壊したころ。世界第2位の経済国だった当時の日本で、人道援助活動に必要な寄付を募ろうとした動機が背景にあったそうだ。
それから30年あまりが経ち、おかげさまでいまでは日本から毎年、およそ40万人の一般個人の方々と多くの一般法人から寄付を頂いている。
また医師や看護師、そして「ヒト・モノ・カネ」を扱う非医療従事者のスタッフが毎年100人ほど、世界中に派遣されている。
国境なき医師団の憲章は、以下の4つ。

国境なき医師団は苦境にある人びと、天災、人災、武力紛争の被災者に対し人種、宗教、信条、政治的な関わりを超えて差別することなく援助を提供する。

国境なき医師団は普遍的な「医の倫理」と人道援助の名の下に、中立性と不偏性を遵守し完全かつ妨げられることのない自由をもって任務を遂行する。

国境なき医師団のボランティアはその職業倫理を尊び、すべての政治的、経済的、宗教的権力から完全な独立性を保つ。

国境なき医師団のボランティアはその任務の危険を認識し国境なき医師団が提供できる以外には自らに対していかなる補償も求めない。

このような憲章をもつ組織がなぜ、日本に事務局をかまえているのだろうか。


という箇所だったのですが、なるほどMSFは2022年には、 75の国と地域で、約4万9000人のスタッフが活動し、国境なき医師団日本からは26の国・地域へ89人(のべ119回)の派遣があったそうです。
MSFにはオペレーションセンターとパートナーセクション、ブランチオフィスの3つの地域部門があるそうで、日本はパートナーセクションがあります。パートナーセクションの役割は

「MSF SECTIONS ARE OFFICES THAT SUPPORT OUR FIELD WORK. THEY
MAINLY RECRUIT STAFF, ORGANISE FUNDRAISING, AND RAISE AWARENESS ON THE HUMANITARIAN CRISES OUR TEAMS ARE WITNESSING. EACH MSF SECTION IS LINKED TO AN ASSOCIATION WHICH DEFINES THE STRATEGIC DIRECTION OF THE SECTION, AND HOLDS THE SECTION ACCOUNTABLE FOR ITS WORK.」

ということだそうで、人員募集、寄付集め、広報が主たる活動のようです。アジアパシフィックのゾーンにあるパートナーセクションは、日本以外にオーストラリア、香港、インドにしかなく、シンガポール、韓国、中国、台湾はブランチオフィスになります。
とすると日本にパートナーセクションが置かれたのかというのは、村田氏の指摘するように世界第二の経済大国だった日本の資金力と人道援助志向があったとはいえ、憲章にある「人種、宗教、信条、政治的な関わり」から比較的無色だったからなのかもしれません。もちろん日本は米国の下請けではありますが、紛争地の複雑な構造から遠いという意味なのですが。

さて、もう1冊の「一神教」の方はイスラムの現状を分かりやすく説明していますが、そのイスラムと距離のある日本はどういう立ち位置にあるのかということも書かれています。こういう指摘の個所もありました。


日本は地理的には東アジア文化圏の一員であることから逃れることはできませんが、この地域(日中韓)は「儒教」と「漢字文化」という地域内で通用する共通言語があったものが、それぞれ捨て去られつつあり、互いを理解するベースが薄れて東アジア文化圏としての纏まりが消え去ろうとしています。
マルクス・レーニン主義によりロシアと中国が旧来の「ロマノフ・清王朝」を一掃したものの、それに代わる求心的なものが見つからないまま今に至るという、壊したはいいが新たな柱を立てることが出来なかったということがあります(マルクス・レーニン主義は柱にはなりえなかった)。

一方イスラムは国ではなく、宗教というつながりで広くユーラシアをつないでいるます。なかでも忘れてはならないのはコーランという正則アラビア語が共有されている点にあり、またコーランはイスラム法として社会における法とルールでもあるので、イスラムの地域では地域性はありながらも、共通言語を有するが故に、理解と合意の基盤があるということです。

驚いたのは、コーランの漢語訳には「惻隠の情」という表現が入っており、人権問題についても「仁」であるのだそうで、共通言語を失いつつある東アジアに向けて、イスラムが東アジア文化にじわりじわりと浸透してきているのかなと思ったのです。う~ん、MSFからいけば融通無碍・無色透明・唯我独尊というのが我が国の立ち位置ですが、一神教からすると自ら仲間外れを選択している国なのかもしれませんね。

タイトル写真はMSFのポストカード。「帆船とやしの木」(Hanna Kh)

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