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時間を閉じ込める、空間を閉じ込める

東京物語(?)のフリータイムは何をしていたかと言うのを書いておきます。

昼前は国立新美術館の「李禹煥展」でした。開館15周年記念で取り上げられるだけあり、見応え十分。
氏の絵画、造形の世界に圧倒されました。

最初の部屋に赤やピンクの同一色で塗られた「風景」Ⅰ〜Ⅲという連作がある。群馬県立近代美術館に所蔵されているそうだ。スプレーによる作品だが、濃淡がありそれを見ていると筆遣い(スプレー遣い)まで見えてくるようだ。つまり一枚の中に描いた順番、時間の経過が感じられる。

すぐ先の部屋には「関係項」という作品。大きな石(岩)が2m角のガラスの上にあり、石が落ちた衝撃でヒビが入ったり、ガラスが砕けて破片が散らばっている。この石が落とされガラスが割れたのは作成された時だが、見ているとヒビが入った時の音、衝撃が聞こえて来る。そう、作品の中にその時が閉じ込められているのだ。

別の部屋には一面に小さく割られた平板な石。その上を歩くけるのだが、足を移すたびに石が傾き隣の石に当たる音がする。歩く場所、歩く人、歩き方、部屋にいる人数で、一度として同じ音が部屋にこだますることはない。作品には一期一会の時間が満ちている。

その後の展示は絵画中心で、これもまた筆の起点と終点がはっきりし、やはり時間が閉じ込められていた。

最後のコーナーは最近の作品で撮影自由。ここに至ると空間まで閉じ込められている。

最後の作品は壁に直接描かれたもの。見る場所によって作品の広がり、見る側との関係性が変わる。圧倒されました。

さて午後は印刷博物館であった「地図と印刷」展。印刷なので江戸期以降がほとんどだが、地図だけでこの出展点数だから、こちらも見応え十分。ただ老眼には、地図の細かいところを見るに、もう少し照度が欲しかったなぁ。

やはり伊能忠敬の偉大さは凄いことを改めて知りました。それまでの地図は「正確よりわかりやすさ重視で、誇張やデフォルメはあり」の感があったけど、伊能以降は対外的な軍事資料の意味合いもあり、正確性に顕著に移っている。

地図作りが変わった以降になるけど、このリーフレットの左上にある蝦夷図なんかは、伊能忠敬の地図が海岸線中心で内部のほとんどが空白だったものを、松浦武四郎が内陸深くまで踏み込んで作ったもの。当時の北海道の手付かずの原生林、道なき道を測地した結果だから、まあ凄いわ。

李禹煥同様に、地図には作成されたその時が閉じ込められている。もちろん地図にはその時の空間も閉じ込められている。
二つの展示会で共通項を発見し、久々の東京フリータイム、とても嬉しいハシゴとなりました。

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