スズキリョウタ
制作とそれにまつわる話
修士研究や研究室会議について
修士研究を中心とした町並みの観察とその裏側に関する考察
毎朝排泄する。排泄されたものは無念にも水洗便所によって手の届かない場所へと運ばれる。 便は雄弁である。 色や硬さから体調が読み取れる、まさに身体の代弁者。 便だけが私自身を物語るわけではない。顔の浮腫や、声色、朝起きて、気にしていないだけで毎日少しずつ違う私がいる。でも変化の兆しはどれも儚くて、すぐにいなくなる。 だから、10日間だけ排泄をするようにキャンバスに色をのせることをした。その日のその瞬間の自分をキャンバスという便器に溜め込むのだ。 毎日1色5分、交換キャ
5/20に行われた研究室会議@zoomの簡単な感想とメモ。拙文です。 今回はB4の卒業設計に関する個人発表が中心の研究室会議。毎年、各々の興味に即した話題をざっくばらんに投げることから卒業設計が始まる。 特定の誰かの発表に対して、というよりは全体を通して何となく感じたことを言葉にしたい。 我々は、この日常を手にするために異常を排除することを日々迫られている、と改めて感じた。そしてその身に異物を纏うことで異常を排除している。少し見方を変えれば、これ自体が異常なのである。建
5/13に行われた研究室会議@zoomの簡単な感想とメモ。 ユウヒさんのターン、上部構造と下部構造の話の際に挙げられた以下の2つの文献が自分の興味にも接続していて面白かった。 技術は常に自らがその一部となる連関構造なしには働くことができない。ある技術が急速に普及するのは、先行する連関を保持しつつ、その一部=サブセットをより高い性能で代替できるような技術が開発される時だ。新石器時代以来、いつでもそうだったではないか。だから建築の歴史はいつも革新と捕手の両面を合わせ持つ。
これまでの話昨年度から振り返る。「構法の自律性」をテーマに沿えながら、構法(技術や素材)の持つ構築性に関する研究をしたいと漠然としたことを言い続けた一年間であった。 (中略)狭小敷地に建つ住宅の歪にも欲深く生き抜く姿に個性があふれていることに興味を惹かれ、最後の個人発表は面白い敷地を探してはそこにたたずむ住宅をレビューしていくという内容に。 場所は谷中と千駄木の境、通称「へび道」と言われるうねった道沿いの変形敷地に建つ住宅群を対象とした。 不整形な形に刈り取られた敷地に建
来る新建築5月号月評ゼミを前に、自分の考えを整理するためのテキスト。 「京都市美術館」と「弘前レンガ倉庫美術館」、この2つの美術館を見て建築の生々しさ、みたいなものを考えさせられた。 きっかけは弘前における論考で「延築」という言葉を見た時である。ここで田根は「(中略)欧州で目にしてきた「修復」の技術を思い出した。古いたてものを直すために部材を検証し、制作当時の技術や素材を学び研究する。過去と対話しながら作る方法である。」と語っている。ここに違和感を覚えた。過去から未来へ、
初めまして、明治大学大学院の鈴木遼太です。 大学は春休みに突入し、いよいよ修士もあと一年というところで、やっと修士研究のスイッチがちょっぴり入りました。そんなわけでいろいろな論文やテキストを読んでインプットを試みているわけですが、入れているばかりでは飽きてくる。 「自分の脳みそを公開すれば誰かと悩みを共有したり、議論に発展させることもできるんじゃないか?」 なんて思ったりして、note始めてみました。 継続できるか、頻度はいかほどか、などはさておき、自分の思考を客体化するた