屋根の下で育つ根

5/13に行われた研究室会議@zoomの簡単な感想とメモ。

ユウヒさんのターン、上部構造と下部構造の話の際に挙げられた以下の2つの文献が自分の興味にも接続していて面白かった。

技術は常に自らがその一部となる連関構造なしには働くことができない。ある技術が急速に普及するのは、先行する連関を保持しつつ、その一部=サブセットをより高い性能で代替できるような技術が開発される時だ。新石器時代以来、いつでもそうだったではないか。だから建築の歴史はいつも革新と捕手の両面を合わせ持つ。そして置換は、連関構造の他の部分とのあいだに性能的な推移差を生み、あるいは新しい解釈の可能性を提示する。
青井哲人/「新建築」2014年4月号月評より引用

巨視/微視のあわいでは形と技術が追いかけっこしていて、トップダウンとボトムアップの繰り返しから建築は今日まで紡がれてきた。バトンが途切れることはなく、そして一本だけとも限らないのが面白い。数多あるレーンと、時間とともに現れては消えていく走者たち。追い越されるのが隣のレーンをいつも走っているやつとも限らない。

建築の部分の生産と、全体を律する仕組みは、いわば車の両輪のような関係にあり、両者はそのいずれかの姿が変われば、もう一方も変化せざるをえないという、緊迫した力学の下にある。渡邊保忠は、近世末から近代初期の状況とは対照的に、労働力が低劣であった古代の寺社建築においては、細部のおさまりや加工精度よりも、むしろ全体的な形姿のつり合いが重視され、そのような全体性を、原子の時代に直接連なる、しかし、未熟な技術によって成立させるために、ピラミッド状の職人組織と、その頂点で全体を統率する「大工」と呼ばれた指導工人の偉大な能力の発揮が必要であったと指摘している。
門脇耕三/「建築雑誌」2013年11月号,「建築家」が問われるとき-自己規定の軌跡と現在  より引用

自身の研究に対して大変参考になったのはこの門脇先生の論考。谷中においても形と技術の両輪による市街化が起こっているはずで、その結果複雑化した屋根群が軒を連ねているのではないだろうか。


屋根と柱・梁がリテラルに上下に分割可能な和小屋を持つ日本建築は、屋根が記号化し易い性質を持っていて、民族学的な要素が含まれることがしばしば起こる。格式や権威を示す意匠は屋根を複雑に変形させる技術を進化させたのである。それが住宅に適応されたらどうだろう。意匠(格式)が剥奪され複雑化するための技術だけが、敷地目一杯に広がろうとする住宅群に重ねられたのではないだろうか。その姿を僕は空から見ていたのかもしれない。

屋根の下で育った根は、幹を切り落とされてなお、新しい養分を吸い取って新たな幹を育てていく。過渡期の現れに、中間的パースペクティブにしっかりと目を向けていきたい。

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